
戦後の新しいヒーローとして圧倒的な支持を受け、「太陽にほえろ!」などでテレビ世代にも人気を得た俳優・歌手の石原裕次郎さん(享年52)が、肝臓がんで亡くなって7月17日で30年を迎える。石原プロモーションで苦楽をともにした俳優の渡哲也さんに「永遠のスター」の思い出を聞いた。
──石原裕次郎さんに初めて会われたのは?
日活に入社した年ですから1964年だと思います。宣伝部の方に「昼食時間に俳優の皆さんが集まってこられるんで、挨拶をしましょう」と言われて日活撮影所の食堂に行きました。
混み合っていましたが、裕次郎さんはすぐにわかりました。そのテーブルだけ明るいというか輝いているように感じました。4人のメインスタッフと食事をされていて、裕次郎さんはお新香をつまみにビールを飲んでいました。撮影所でアルコールが許されているのは裕次郎さんだけだったそうです。
そばに行って「こんど日活に入りました渡です。よろしくお願いします」と挨拶をしましたら、裕次郎さんがわざわざ立ち上がって、「おお、君が渡くんですか、頑張ってください」と握手をしてくださいました。裕次郎さんの所にたどりつくまでに、いろんな方々に挨拶しながら進んだのですが、ほとんどの方は座ったままでした。
──学生のころからファンだったそうですね。
最初の「太陽の季節」を映画館で観て格好いい方だなあと憧れて、新作が出るたびに観に行きました。そのような雲の上の方に立ち上がって迎えていただいたので、感激しました。
新人のときは何かにつけて「渡くん、頑張ってるか」って声をかけてくださいました。そんなある日、「うちへ来てめし食っていかないか」と誘われました。それでお邪魔したのですが、食べたことのないようなステーキに飲んだことのないワインが出てきました。
私は酒はそんなに強くありません。すすめられるまま、ワインを飲んでいたら、飲みすぎて気持ち悪くなってきました。いただいた本当においしかった肉をみんなトイレでもどしてしまい、そのままソファで1時間か1時間半ぐらい寝てしまいました。目が覚めたら、毛布がかかっていて、大変なことをしてしまったなと思いました。