今、お坊さんは本業で生活が成り立たくなり、副業に走るのが当たり前といった厳しい立場に置かれている。背景には、檀家の信仰心が影響しているという見方もある。
一方、寺の困窮の理由は信仰心の希薄化ではない、と指摘するのは、僧籍を持ち、お寺事情に詳しい専門家だ。
「信仰心が薄れている、とよく言われますが、実際には日本人は信仰心が強いんです。仏壇や神棚への礼拝は変わらず行われていますし、流行の『終活』は死後の見えない恐怖から逃れるためのものです」
統計数理研究所の「日本人の国民性調査」では、「宗教を信じるか」を1958(昭和33)年から5年おきに調査しているが、数字に大きな変動は見られない。そのほかの調査でも仏壇への礼拝や、お盆やお彼岸の墓参り、初詣といった数に大きな変動は見られていない。
ではなぜ寺は困窮するのか。
「寺の困窮は、首都圏と地方で圧倒的に格差があります。首都圏のお寺で経済的に困っているところはそこまで多くない。大きな原因はやはり“過疎化”です。村が消滅すれば、寺も消滅します」(前出の専門家)
同様の指摘をするのは寺院デザイン代表として、お寺のあり方など数多くの講演を手がける薄井秀夫氏だ。
「寺というのはそもそも、人の住む中心に建てられたものであって、寺ができてから人が集まったわけではありません。寺がコミュニティーを作ったわけではないので、人が移動してコミュニティーが崩壊、地縁がなくなれば、寺を支えるメリットがなくなるんです」
人口の一極集中、核家族化など、お寺が抱える問題は多いが、そういった現代の事情に適応できていないという。
文化庁の「宗教関連統計に関する資料集」(2015年)によれば、寺院数は明治時代からほとんど変わっていないにもかかわらず、お坊さんの数は約7倍に膨れ上がっている。薄井氏は続ける。
「お坊さんの数が爆発的に増えたのは、高度経済成長の時代に寺が潤ったからです。みんながお金を持っていたから、お布施でも寄付でも住職が望む額を“忖度”して払っていたんです。でも同時に人口の一極集中化が進んでいき、地方の寺は取り残されていく。人口が偏る今の状況は目に見えていたのに、檀家制度に胡坐(あぐら)をかいていたという側面は少なからずあるのではないでしょうか」