かつては当たり前に行われてきた十三回忌や十七回忌といった、2桁数字の年忌法要は減少している、とこの住職は言う。
「これまでは暗黙の了解で行われてきたものに説得力がなくなってきたんだと思います。寄付や護寺会費にしても、納得してもらえないと『抜けるよ』と言われることも増えてきました」
別の関東地方の過疎の村にある寺の住職(36)は、
「寄付やお布施のお願いは言いづらいです。護寺会費は月1千円いただくことにしています。私が独り身なら、寺の維持管理も含めて生活する分には大丈夫ですが、家族を養うとなると兼業しなければやっていけません」
8年前にこの寺にやってきたこの住職は当時独身だったが、結婚して子どもが生まれると、仕事を増やさざるを得なくなった。
「高野山の東京別院で職員をしています。収入は寺と比べて倍ほど違う。週に4、5日は東京へ出て働いているので、もはや住職が副業なのだろうかと……」
寺の未来のために何が必要なのか。
「何よりも営業努力だと考えています。お葬式やお墓に対する考え方も変わってきている今、お寺、仏教を改めて理解してもらわなくてはいけません。たとえば、難しいお経を読んで誰がわかるのか。わかりやすく伝えることが一番大事で、『お経は短く、説法は長く』が肝心です」(前出の山梨県内の住職)
一方、前出の薄井氏は手厳しい。
「食えない寺は潰すか、合併するしかないと思います。お寺の規模が今の時代に見合わなくなっている。この先、仏事収入は確実に先細りになる。寺と檀家の結びつきに疑問符がついているのに、檀家制度にしがみついていては、先はありません」
周囲の顔色をうかがい、食っていくために副業をし、寺の存続を巡り頭を抱える、悩めるお坊さんたち。寺との付き合い方に答えが出る日は、果たして来るのだろうか。
※週刊朝日 2017年6月30日号