
●いつまでも あると思うな コロッサス
“わが心の名盤”を、ささやかな自分史とともに振り返っている当欄ですが、今回は、ジャズ・ファンなら誰でも知っている、知らなければジャズ・ファンとはいえない、そのくらい断言しても誰からも決して叱られないであろう、超有名盤『サキソフォン・コロッサス』をご紹介いたしましょう。
私は1984年の春だったか、市内に一軒しかない中古レコード店で、このアルバムを手に入れました。当時、『サキソフォン・コロッサス』は、私の知る限り、旭川市の一般の(新品を扱う)レコード店には置いていませんでした。名盤を常に在庫しておくというのは都市の論理であり、少ない棚しかない、しかもジャズ・コーナーなどあってないような田舎の店にそれを望むのは無茶というもの。限りあるジャズ・コーナーは、いつも阿川泰子、渡辺貞夫、クルセイダーズ等の“旬の新譜”に入れかわり立ちかわり占められていたように記憶しています。もちろん東京、大阪、名古屋、札幌などでは普通に『サキソフォン・コロッサス』が国内盤の新品として入手できたのでしょうが…。
ちなみにこのアルバム、先日、私が調べたところによると1976年にビクター音楽産業(当時。以下ビクターと略)から新譜として発売されています。その前は東芝音楽工業(当時)が国内盤の発売元でした。76年の次に、品番と売価を変えて、やはり、ビクターからリリースされたのは1984年のことです。つまり8年間、“サキコロの新譜”は出なかったわけですね。レコード盤の時代は、いまのように同じ内容のものが年に何種も手を変え品を変え出回ることがありませんでした。むやみやたらと名盤が出し直される時代ではありませんでした。でも当時こそが“正常な市場”だったのではなかろうか、と個人的には思います。
●メンバーが毛布をかぶっている?
私が中古レコード店で見つけた『サキソフォン・コロッサス』は、東芝音楽工業盤でした。レーベルは緑、そこに青色のプレスティッジ・レーベルのロゴ(道路標識のような、イカリのような)が載っています。ジャケットを裏返すと英文解説が目に入るのですが、オリジナル盤のアイラ・ギトラーのそれではなく、だけどギトラーより遥かに参考になり、読み応えのあるマーティン・ウィリアムスの文章(60年代、アメリカで再発されたときに書かれたもの)が掲載されていました。
『サキコロ』が名盤であるということは、すでに粟村政昭さんの著書『ジャズ・レコード・ブック』や、スイングジャーナル誌に掲載されていた「油井正一のレコード・セミナー」などで存じ上げておりました。なのでおのずから、レコードに針を降ろす前から“名作を謹聴させていただきます”モードにならざるを得ません。A面1曲目からいきなり、モコモコのドラムスの音が耳に飛び込んできました。ピアノは毛布をかぶったみたいで、ベースはダンゴ状。サックスの音もカーテンの向こうから聴こえてくるようです。参ったな、と思いました。私は活字で得た知識を元に、モダン・ジャズの黄金時代である1956年でこの古臭い音質はおかしい、名匠ルディ・ヴァン・ゲルダーがこんなひどい音で録音するわけはない、と思いました。
●コンパクト・ディスクが、まだCDと略されていなかった頃
あけて1985年、ビクターがプレスティッジやリヴァーサイドの名作を次々とCD化し始めました。この時点で私はまだCDプレーヤーを持っていません。30万円もの大金は高校生がいくらバイトに明け暮れたところで、おいそれとは貯まらないものです。でもジャズをとりあげるFM番組は、積極的に“ジャズのCD”を紹介してくれました。「次にお届けするのはソニー・ロリンズの《モリタート》です。コンパクト・ディスクでお聴きください」という声と共に。
鋭いシンバル音が流れてきました。そこに芯の太いベースがからみ、サックスが前に迫り出してきます。ピアノの音も、奏者の指の動きが見えるようです。
これがコンパクト・ディスクか! 音がいいなあ! 俺の持ってるLPとぜんぜん違うなあ!
なんでこんなに違うのか、と不思議に思うと、根が凝り性なものですから、真相に迫りたくてどうしようもありません。結果、いくつかの知識を得ました。
※NG部分も含めて、演奏の模様をまるごと収めたオリジナル・セッション・テープがある(親)。
※そのセッション・テープをアルバム用に編集したオリジナル・マスター・テープがある(子)。
※レコード会社はそれをコピーして各国の発売元に配るので、原レーベルの所在国以外でのプレスは基本的にコピー・テープを使用したものとなる(孫)。
※それらは再発されるごとに使われるから、当然ながら磨り減っていく。
※60年代半ば、アメリカの多くのジャズ・レーベルがモノラル録音を電気的にステレオ化する“擬似ステレオ”方式に取り組んだ。生き物でいえばDNAをぐちゃぐちゃに破壊された状態である。
※日本も当初は擬似ステレオ化に追随したが、やがて粟村氏などが猛反対、それを受けてか“アメリカで擬似ステレオ化されたマスター・テープを日本独自にモノラル化”した再発盤が登場する。しかし一度破壊されたDNAは二度と最初の形に戻ることがない。
※つまり擬似ステ、および擬似モノは、音質の良い・悪いを云々する以前に音響的に論外。
FMで《モリタート》を聴いた私は、音楽ぶち壊しのマスター・テープからLP化された中古盤と、アメリカの倉庫から見つけ出したオリジナル・マスター・テープを使用したCDを比べて、なんて音が違うんだ、と驚いていたわけです。
もちろん擬似ステレオだろうがインチキ・モノラルであろうが『サキコロ』は『サキコロ』、《セント・トーマス》で始まり《ブルー・セヴン》で終わる構成は同じです。私は別にオーディオ・マニアではありません。が、音楽家の意思とは恐らく無関係に音質劣化措置をとられた盤は、だいいち聴いていて体によくありません。『サキコロ』はどんなときにも、ド迫力であるべきなのです。