参院予算委員会で民進党・福山哲郎議員から「あのfaxを政府はどのようにして入手したのか?」と糾された菅義偉官房長官は、「谷さん本人から入手した。個人で保有していたもので、個人で保管していた以上、行政文書に当たらない」との見解を示した。つまり政府は「公的な資料は全て廃棄したので存在しないが、見つかった資料があるなら、それは私的なものであり、政府は責任を負わない」と答弁しているのだ。あまりにも無茶苦茶ではないか。
このように、政府・与党は相変わらず、苦しい答弁を繰り返しており、空虚な言葉だけが、積み上がっていく。そしてなぜかテレビでは、政府・与党を擁護し続ける「識者」の類いが幅を利かせている。
しかし一度冷静になってもらいたい。
2月中旬に森友問題が明るみに出て以降、政府・与党側から進んでなんらかの資料が公開されたためしは一度もない。国会で答弁に立つ政府委員や閣僚たちは口を揃えて「資料は廃棄した」「そのような資料は存在しない」と言い張る。一方、「百万円の振替票」にせよ、谷氏からのfaxにせよ、「業者と役所の打ち合わせ記録」にせよ、議論の検討材料となる資料はことごとく籠池氏側から提示されたものばかりだ。つまり我々は今、「紙を捨てたと言い張る側が、紙を提出してくる側を『嘘つき』呼ばわりする」という、極めて珍妙な光景を目撃しているのだ。こう考えると、政府の答弁は「苦しい言い訳」としか表現のしようがあるまい。
瑞穂の國記念小學院の設置認可や敷地の国有地払い下げに「私や妻、事務所は一切関わっていない。もし関わっていれば首相も国会議員も辞める」と答弁したのは、安倍首相本人だ。
政府はこの答弁を守るため、嘘に嘘を重ねてきた。そして今や、「個人で保管していた文書である以上、公文書ではない」との苦しい言い訳を繰り出すところまで追い込まれている。あまりにも無理のある答弁を繰り返すことは、国家の危機管理機能や統治機能を根底から毀損する行為だ。たかだか首相一人のプライドを守るために、政府高官たちが嘘に嘘を重ね、国家を溶解させていく姿は見るに忍びない。
もうゲームオーバーだろう。首相、いい加減、諦めなさいな。
※週刊朝日2017年4月14日号より抜粋