"浅丘ルリ子(あさおか・るりこ)/旧満州国新京市(現・長春市)生まれ。1955年に映画デビュー。石原裕次郎、小林旭らと共演し、日活の看板女優となる。ドラマ、舞台などでも活躍。2002年紫綬褒章、11年旭日小綬章受章(写真/写真集『平凡プレミアムselection―今も輝き続ける女優たち 8人の女』から)"
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"有馬稲子(ありま・いねこ)/大阪府生まれ。1949年宝塚歌劇団入団。53年映画界に転身し70本以上に出演。「はなれ瞽女おりん」をはじめ舞台にも情熱を注ぐ。95年紫綬褒章、2003年勲四等宝冠章受章(写真/写真集『平凡プレミアムselection―今も輝き続ける女優たち 8人の女』から)"
"加賀まりこ(かが・まりこ)/東京都生まれ。1962年の映画「涙を、獅子のたて髪に」をはじめ、数々の作品に出演し、人気女優に。舞台、ドラマでも活躍。82年、映画「泥の河」でキネマ旬報賞助演女優賞を受賞した(写真/写真集『平凡プレミアムselection―今も輝き続ける女優たち 8人の女』から)"

 倉本聰が「いま実現可能な、最高の女優陣」を集めたと話題になっている新作ドラマ「やすらぎの郷」。浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ──今も昔も美しい女優たちの若き日の姿を、本人たちが語る思い出と共にお届けする第1弾!

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■浅丘ルリ子 目の回る忙しさ、でも楽しかった
 1958年頃は、毎日がグラビア撮影。秋山庄太郎さん、早田雄二さん、巨匠と呼ばれるカメラマンに日替わりで撮影して頂きました。掲載誌も平凡、明星……どの雑誌のどのページの撮影か、わけもわからず、とにかくスタジオに行ってポーズをとっていましたね。

 映画も週に1本ペースで撮影していましたから、掛け持ち撮影は当たり前。本当に目が回るほど忙しかった。

 その頃から今まで、休むことなく仕事を続けてこられたのは、まず第一に両親のおかげ。体がもともと丈夫で、病気ひとつしたことがありません。それと、お酒を一滴も飲まないからでしょうか。映画の撮影が終わると、相手役の裕ちゃん(石原裕次郎)たちは、毎日飲みに繰り出していたけど、私はまったく飲めないから、一人で部屋に帰っていました。でもあの頃は楽しかった。あっという間でしたけど。懐かしいわ。

■有馬稲子 恋をすれば、心が動く
 この写真は1967年に撮ったもの。錦之助さん(萬屋錦之介)と離婚し、演技を勉強しなおそうと宇野重吉さんの劇団民藝に入って絞られていた頃です。

 私は61年に結婚して、映画から遠ざかっていました。ある日、私と錦之助さんが出た映画「浪花の恋の物語」を見た扇雀(現・坂田藤十郎)さんが、これをどうしても舞台でやりたいと熱心に誘ってくださり、引き受けたんです。63年のことでした。

 それで、舞台の面白さを知ったんです。私の台詞ひとつで、お客さんが笑ったり泣いたりする。それがたまらなく面白くて。ライフワークの「はなれ瞽女おりん」の舞台は24年間、日本全国で684回公演しました。

 ストレスの解消法は、ガーデニング。マンションの庭で、花を育てています。趣味を持ち、ものごとに感動するのが、元気のもと。その意味で、恋もしたいと思っています。恋をすれば、心が動きますから。

■加賀まりこ 恋愛は年とは関係ない
 これは1963年頃の写真ね。当時はどんな小さなチャンスも逃したくないという気持ちが強すぎて、無理しちゃったことがあったわ。それで体を壊したことも……。だから健康でいることは大事だと、とても思うの。そのために食事は30品目を必ず摂るようにしている。それが健康の秘訣。

 私は今のパートナーと60歳で一緒になったのよ。恋愛は年齢とは関係ないんじゃないかしら。

 それとね、私、好奇心が大切だと思ってる。いろいろなことに興味を持ったり、気になることがあると、すぐに出かけたり、実際に試してみたりするの。

 なかでもスポーツを見るのが大好きで、相撲は昔から見ているし、つい先週まではWBCに夢中だったわ。

 私も侍ジャパンの一員のように常に真剣勝負。だから、いろいろな楽しいことをパートナーと共有することで、いつも、ときめいていられるのね。

週刊朝日 2017年4月7日号