地下鉄サリン事件が起き、息子から電話がかかってきた。<あんた悪いことしてないんでしょうね>と聞くと、<するわけないじゃないか。ぼくは解脱するために修行してるんだ>と答え、<解脱すれば家に帰れるから待ってて>と電話を切った。

 母はこう結んだ。

<息子の帰ってくる場所は、親のところしかない。息子が戻る日まで、わたしはオウムを脱会しません。オウムにいることで、息子とつながることができるのですから>

 山一、拓銀、長銀、日債銀……90年代は大手金融機関が相次いで破綻(はたん)した。

 バブル以来、不動産の値上がりを見込み、多くの人や企業が投機に走った。その原資を積極的に貸していたのが住宅金融専門会社(住専)。地価は下落に転じて融資が焦げつき、住専の経営は急速に悪化した。

 96年2月9日号は「住専の粉飾決算をマル秘資料で暴く」と題し、支払い能力を失った人や企業に返済資金を融資する「追い貸し」が、業界で横行していたことを明らかにした。

 金融不安が高まっていた97年、「4大証券」の一つだった山一証券が破綻し、グループの社員約1万人が失職。本誌は98年1月、「40代、50代が生き残る道はこれだ」と題し、再就職の厳しさを示した。35歳以下の求人は多いのに、50代になると数えるほどしかない。破綻のショックで再就職活動をできない人もいた。

<求人データを見ようという気持ちになれないんですよ。二十五年以上勤めた会社が急になくなってみなさいよ。ふんぎりがつかないというか、まったく次を考えられない>(47歳部長)

 40~50代でも、語学などの武器があれば再就職に有利とされた。

<自分に専門性の売りがない人は、リストラされないよう会社にしがみつくのが、一番の対策でしょう>

 と締めくくっている。

作家の江上剛は、第一勧業銀行(現みずほ銀行)で働いていた。過剰融資が金融危機につながる状況を目の当たりにしたという。「バブルの時期は、大蔵省(現財務省)が主導した金融自由化の流れで貸し出し競争が激しくなった。支店の現場では『他行に負けるな』といけいけどんどんで審査が甘くなり、役員もそれを放置した。結局は巨額の不良債権が残った」

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