ボビー・マクファーリン『シンプル・プレジャーズ』
ボビー・マクファーリン『シンプル・プレジャーズ』
この記事の写真をすべて見る

●サッチモVS左ト全

 ビルボード誌の総合シングル・チャートで最初に首位を獲得したジャズ系ミュージシャンは、“サッチモ”ことルイ・アームストロングです。《ハロー・ドーリー!》が1964年5月9日付の週間ナンバーワン・ソングに輝きました。わずか1週とはいえ、飛ぶ鳥を落とし焼き鳥にしてしまうほどの勢いだったビートルズの猛攻をくぐりぬけて栄冠を手にしたのです。

 ちなみにルイは数え年で当時64歳(彼は自分が1900年生まれだと信じ込んでいました)。「最年長で全米1位をとったアーティスト」としても彼の名はギネスブックに載ることになりました。いっぽう、日本のヒット・チャートを賑わせた老人といえば、《老人と子供のポルカ》(1970年)を歌った左ト全の名が真っ先に挙がることでしょう。ト全氏は当時76歳でしたからヒット当時の年齢はルイより遥かに上だったわけですが、こちらはオリコン・チャートで最高10位。トップに立つことはありませんでした。

●テレビから流れた“踊る声”

 ボビー・マクファーリンが歌う《ドント・ウォリー、ビー・ハッピー》が首位にたどりついたのは、1988年9月24日付けの総合シングル・チャート上でのことです。当時人気絶頂のトム・クルーズが主演した映画『カクテル』の挿入歌であったことも多くのひとの支持につながったのでしょうが、とにかく、マクファーリンの第1位は、ジャズ系ミュージシャンとしてはルイ・アームストロング以来約25年ぶりの快挙でした。

 そしてこの曲は「史上初めてトップに輝いた、楽器を使わないナンバー」という栄誉にも浴します。

 もちろん、それまでにもマクファーリンは注目すべき異能のシンガーとしてジャズ界では話題を呼んでいました。私が初めて彼の歌に強い印象を受けたのは確か82年の始め、西海岸のジャズ・フェスティバルの中継録画をテレビで見たときでした。ベテラン・シンガー、ジョン・ヘンドリックスが率いるヴォーカル・グループ“ヘンドリックス・ファミリー”で、地響きのするような低音から女性の裏声よりさらに高いのではないかと思えるような超高音までを自在に操る背の高い男、それがマクファーリンでした。

 間もなく初リーダー作が『踊る声』という邦題で売り出され、FMラジオでもよくかけられていた記憶があります。残念ながら休刊してしまった「スイングジャーナル」の表紙を、ウィントン・マルサリス、チコ・フリーマン(どこに行ってしまったのでしょう)と一緒に飾っていたことも生々しく思い出されます。この時期、マクファーリンは確かにジャズ界にあらわれた“ヴォーカル・センセーション”だったのです。

●ひとり多重ヴォーカル・アンサンブルで、親しみやすさ倍増

 しかし《ドント・ウォリー、ビー・ハッピー》以前のマクファーリンの作品は、あまりにもテクニカルであり、いささか高踏的なところも見受けられました。もっと平たくいえば、“圧倒的なテクニックで驚かせる”ことに全力を注いでいるのでは?といわれても不思議ではない音作りでもあったのです。

 しかし《ドント・ウォリー、ビー・ハッピー》、それを収めたアルバム『シンプル・プレジャーズ』は違いました。ひとり多重ヴォーカル・アンサンブルは、あるときはゴスペル合唱団のようであり、またあるときはドゥーワップ・グループのようであり、あの特徴的なハイ・トーンや重低音は、あくまでもメインのメロディを装飾するものとして使われていました。

 《ドント・ウォリー、ビー・ハッピー》だけではなく、ビートルズの《ドライヴ・マイ・カー》、ラスカルズの《グッド・ラヴィン》など、親しみやすい曲をカヴァーしているところも、『シンプル・プレジャーズ』の大きな魅力であるように思います。

 このアルバムが発売された88年当時、世の中は“バブル”を謳歌していたとききます。わざわざ“ききます”と書いたのは、個人的にその恩恵を受けた実感が一度もないからなのですが、それでも今よりは皆が幸せな顔をして街を歩いていたような気がします。

 電車ひとつ乗ったにしても、現在ほど張り詰めた空気は感じなかったはずです。それから20余年、なんでここまで、人々から笑顔が消えてしまったのでしょうか?

 《ドント・ウォリー、ビー・ハッピー》……こんな時代だからこそ、改めて聴いてみたい1曲です。