ちなみに石川氏の部下として、臨海副都心開発部長の職にあったのが、やはり小池派の前川燿男(あきお)・現練馬区長である。前川氏は02年7月、知事本局長として、「豊洲の土地を市場にすることの合意書」に捺印した人物だ。退職後に交渉相手だった東京ガスに天下り、都の職務規定に違反しているのではないかと疑問視する声がたえない。
青島都政時代にいったんご破算になった豊洲への移転は、水面下で交渉が継続され、石原都政で実を結んだ。
後の石原知事のもとで副知事を務め、東京ガスとの交渉に乗り出した浜渦武生氏も、本誌の取材にこう証言している。
「もともとの豊洲市場の発案は青島知事時代に、都の役人がしたと聞いている。石原さんが都知事になった頃は『豊洲しかありません』と都の役人に聞かされた」
浜渦氏が副知事として東京ガスと土地買収交渉に乗り出した当初、話し合いは難航を極めたというが、その理由を前出の築地市場関係者がこう振り返る。
「青島都政時代、東京ガスと都が移転の話を水面下で進めたのに、ご破算になったので、東京ガスはもう信用しなかったんですよ。03年から土壌汚染対策法が施行され、環境基準が厳しくなることがわかっていたので、浜渦氏が東京ガス幹部と水面下で合意書を交わすなどし、施行の前に駆け込みで開発工事をやってしまおうと交渉を急いでいたんです」