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1968年を迎えると、バッファロー・スプリングフィールドをめぐる状況はさらに悪化する。ブルース・パーマーは、2度目の逮捕で、ついにカナダに強制送還されてしまった。ニールとスティーヴンとの距離はますます広がっていった。プロデュース能力にも長けたジム・メッシーナを新メンバーに迎えて態勢を建て直したものの、つづいて、彼とニール、リッチーがちょうどLAを訪れていたエリック・クラプトンとともにドラッグ所持で逮捕されるという大きな事件が起きてしまう。ニールは自著で否定しているが、このときスティーヴンが「逃げた」ことも引き金となり、バンドの解散が決まる。68年5月のライヴを最後に、パッファロー・スプリングフィールドはロックの世界から姿を消したのだった。
68年夏にリリースされた3作目『ラスト・タイム・アラウンド』は、文字どおりの最終アルバム。アトコとの契約を満了させるため、前年春ごろから解散決定直前までに録音された素材をまとめたもので、最終的な仕上げはメッシーナが担当した。こちらのほうが先だが、クリームの『グッバイ』と状況は似ている。曲によってミュージシャンの編成が異なっているし(バティ・マイルスやラスティ・ヤングも参加)、印象的なジャケット写真は、じつはモンタージュなのだそうだ。ニールが書いた作品でここに収められているのは、「オン・ザ・ウェイ・ホーム」と「アイ・アム・ア・チャイルド」の2曲のみ。「待つのが辛くて/イッツ・ソー・ハード・トゥ・ウェイト」はリッチーとの共作としてクレジットされてはいるが、少し手伝ったという程度だろう。
ニール・ヤング、22歳。カナダを出てから、2年と少し。彼の心はもう完全にバッファロー・スプリングフィールドから離れていた。『ラスト・タイム・アラウンド』が発売されるとすぐ、彼はニッチェやデイヴィッド・ブリッグスらとスタジオに入り、ソロ・アーティストとしてのファースト・アルバムの制作に着手したのだった。
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