ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「星野源」を取り上げる。
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この連載を始めてから、毎週誰かの似顔絵を描いています。手本もモデルもなく「鳥を描け」と言われたら、脚を4本付けてしまう自信があるぐらい、絵心は皆無の私ですが、どうやら絵画と似顔絵は似て非なるものらしく、人の顔の「強調したい」と思うパーツや表情を絵にする行為は、物真似やデフォルメ・メイクをしているような感覚です。そもそも女装も、自分の顔を使って、なりたい顔の似顔絵を描いているようなものですし。
スタイルやキャラも大事ですが、やはり『顔面』以上に情報が詰まっている場所はありません。特に芸能人のような人気商売にとって、『顔』は最大の売り物。才能や技術といった要素も、最終的には『顔とのバランス』によって、捉えられ方が変わってきます。要するに人気者のほとんどは、『顔』相応の売れ方をしているのです。
美醜を問わず、数多の『顔力』を持つ逸材の中でも、今はとにかく星野源から目が離せません。歌がいい。演技がいい。お喋りがいい。雰囲気がいい。人気の理由は様々ですが、そこまで熱烈なファンではない私からすると、彼ほど『顔』がすべてのバランスを取っている人はいないのではというくらい、顔の存在感が絶妙です。好きとか嫌いは別にして。薄いようで、パーツそれぞれの主張は怠っていない上、年齢不詳な質感。明るいんだか暗いんだか、天使なのか悪魔なのか判別できない表情。不器用そうに見えて、どこか揺るぎない自信に満ち溢れた佇まい。すべてひっくるめて、人はそれを魅力と呼ぶのでしょうが、そんなつまらない言葉では片付けたくないくらい、底知れぬタチの悪さが後を引くのです。何度か唄う姿を拝見しましたが、「こんばんは! 星野源です!」と高らかに叫ぶ声に、「え? あの演歌の大先生が、何故Mステに!?」と混乱したのを覚えています。瞬時に星野哲郎と弦哲也を足して二で割った私の感性に乾杯です。
さらに歌声も、爽やか系なスタイリングとは裏腹に、ずいぶんと粗削りな落とし込み方をされています。とはいえ、岡村靖幸に代表されるようなこじらせっぷりはなく、あくまで自然体。吹きこぼれる自我を剥き出しにするつもりなど、到底なさそうなところが、余計に怪しい。35歳という年齢も、程良く『目くらまし』になっている感じがして、だからこそ「私は騙されないぞ」と思うのです。それでも今の時代にフィットする『安心・安全なオールマイティ感』。間違いなく『顔』とのバランスが成せる業(わざ)に他なりません。いわゆる『ザ・顔勝ち』。だけどよく見ると、鼻と口がかなり大きく、垂れた目の切れ幅も長く、口角は上がっています。男性フェロモン全開のエロ顔です。また、背の低さに対する顔の大きさも妙にリアルで、極めつきは手がデカい! ギラギラして見えない究極のエロ顔。男にとって、こんなにも好都合な顔はないでしょう。星野源、涼しい顔してエロを撒き散らしているのです。
持論ですが、服を纏(まと)えば纏うほど、男性のエロスは、裸の部分(顔と手)に集中します。やたら長袖シャツを着る星野源に釘付けになる理由はそこにありました。しかも本能的に、自分の絶倫性の見せ方を心得ている。真のセックスシンボルは服なんか脱いだりせず、顔力で扇情します。斎藤工でも西島秀俊でもなく、星野源。
※週刊朝日 2016年11月4日号