作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。音楽フェスで対馬に訪れた北原氏は、今の日本ではほとんど失われてしまった良さを長崎・対馬で感じたという。
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10月15日、長崎・対馬でミュージックフェスが行われた。地元の若者たちが企画した、島を挙げてのイベントで、韓国と日本のミュージシャンが対馬に一堂に集まる画期的なフェスだ。
対馬には年間約20万人の韓国人旅行客が訪れるという。なにせ釜山との距離は50キロで、晴れた日には互いの稜線が見えるほどだ。当然、町にはハングルがあふれているし、通りを歩けば韓国語が飛び交う。
それでも2012年に仏像が韓国人に盗まれた後は、「韓国人お断り」という貼り紙を出す飲食店などが少なくなかったという。もちろんそういう「空気」は対馬だけではない。ここ何年もずっと、大声で差別をまき散らすような暴力行為が、日本全国で行われてきた。そういう時代のなかにあって、朝鮮と日本を結ぶ拠点であり、「鎖国」のイメージが強い江戸時代でも積極的に平和外交をしてきた歴史を持つ対馬だからこそ!と、対馬に生まれ育った若者たちが、「音楽で日韓交流を改めてしよう」と立ち上がったのだ。もう、尊い! 尊いとしか表現しようのない志だ。
フェスは、浅茅という対馬のほぼ真ん中に位置する入り江に面した広場で行われた。目の前には海、後ろにはそびえ立つ山。文字通り大自然の真ん中に置かれたステージを囲むように、対馬バーガー(これがおいしい!!)の店や、釜山からやってきたビビンバのお店が並んでいる。ミュージシャンだけでなく、関係者もお客さんも、あたりまえのように韓国と日本が共生していた。その「あたりまえ」を、私はゆっくりとかみしめようとした。東京にいると、奪われるばかりに感じているからかもしれない。海の風を感じながら、山の色が変わるのを確かめながら、音楽を一日中聴きながら、「あたりまえ」を味わった。
帰ってからすぐ、『海游録─朝鮮通信使の日本紀行』を読み始めた。18世紀の朝鮮の儒者から見た当時の日本の描写が、今の日本にもそのままあてはまることが多く、驚いた。日本が世襲制のために「怪鬼のごとき輩」(!)が重要なポジションについているとか、問題があると大声をあげる知識人にあきれたり、日本の派手で露骨な性文化にびっくりしたり。変わってないです~と、300年前の朝鮮人と語り合うような気持ちで読書した。
フェスは来年も行われるとか。ぜひ行きましょう!
※週刊朝日 2016年11月11日号