
2005年、サングラスに黒革の衣装で「フォー!」と叫び、大ブレークしたお笑い芸人・レイザーラモンHG。元グラビアアイドルの住谷杏奈と結婚後、順風満帆な日々は長くは続かずに収入が激減したが、妻がファッションディレクターとして「商才」を開花させ家計を懸命に支えた。そんな夫婦ならではの懐事情とは?
※「レイザーラモンHG『僕がプレゼントした指輪を七輪に…』妻との結婚秘話」よりつづく
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――結婚後、妻はグラビアタレントをやめて専業主婦に。迷いはなかったのだろうか?
妻:いえ、全然売れてなかったですし。この世界に入ったのは、10代のとき、OLYMPUSの写真のコンテストに応募して優勝したからなんです。
夫:え、そうなんだ?
妻:知らなかった?(笑)優勝の賞品として写真集とDVDをサイパンで撮って、それがきっかけでグラビアを始めた。でも母も専業主婦だったので、専業主婦願望があったし。
夫:僕はそのころ、お笑いをやりながら念願だったプロレスラーとしてデビューもできて、収入もあった。「任せとけ!」って家庭に入ってもらいました。
――夫は大学時代にプロレス同好会に所属し、レスラーを夢見たこともあったという。
妻:相方のレイザーラモンRGさんも同じサークルだったんだよね。
夫:そう。僕は「将来プロレスをやるか、お笑いをやるか」で悩んだんです。でも一つ下の学年に、いま新日本プロレスで活躍してる棚橋弘至がいたんです。当時から体も一番できてたけど、その彼が2回生のときに新日本プロレスの入門テストを受けて、あっさり落ちたんです。「棚橋が落ちるのか……自分は無理だな」って、諦めた。
妻:で、一度、生協に就職したんだよね。
夫:でも結局、お笑いの夢が諦められなかった。約半年で辞めて、相方と吉本新喜劇に入ったんです。8年やってHGでブレークして。
妻:一気に月収が1千万円になって。
夫:08年に子どもも生まれてね。全てに「よっしゃー!」って思ってたときに、ケガしちゃったんです。