「皆は、花森は戦争責任を反省して、暮しの手帖を始めたと、わかりやすいストーリーに仕立てたいのだろう。だけど、僕は自分に戦争責任があるとは思っていない。だからこそ、暮しの手帖を始めたのだ。自分が戦犯になり、皆の溜飲を下げたところで、何の解決になるのか。なぜあんな戦争が起こったのか、だれが起こしたのか。その根本の総括を抜きにして、僕を血祭りにあげてそれでお終いというのでは、肝心の問題が雲散霧消してしまうではないか」と。
NHK担当者に、“わかりやすいストーリー”でやるのであれば、「協力できない」と伝えたところ、設定が変更されました。ドラマで原稿を一生懸命、書いている編集長の姿からはなかなか伝わってきませんが、花森さんは庶民のために、国家や企業などの権力と徹底して闘ったジャーナリストでした。先の大戦では、「これは正しい戦争なんだ」「お国のために」とみんな信じ、騙されました。花森さんが「国とはなんだ」というときに、それは「庶民だ」と言います。庶民が集まって、国がある。国があって、庶民があるのではない。そうすると、庶民の暮らしが大事になる。守るに足るちゃんとした暮らしでなければならない。「そういう国になっているか、そういう政治になっているか、国にも企業にも騙されない、しっかりと見極める人々を増やしていく、それが暮しの手帖の使命だ」と花森さんは言っていました。商品テストもその考えに裏打ちされていたのです。(構成 本誌・吉﨑洋夫)
※週刊朝日 2016年9月23日号より抜粋