――ドラマでは洗濯機の公開テストをするシーンが描かれているが、「暮しの手帖」が当時、行ったのは石油ストーブの公開テストだった。

小榑:石油ストーブが倒れて火が出たら、バケツの水をかけなさいというキャンペーンをわれわれがやると、東京消防庁が石油ストーブに水をかけると危ないから、まず毛布をかけて、その上から水をかけなさいと反論。これを朝日新聞が「燃えさかる“水かけ論争”」(1968年2月7日付)として社会面のトップで報道した結果、社会問題化し、公開論争になりました。こちらは実験の結果に基づいて主張をし、軍配は「暮しの手帖」に上がりましたよ。

 ちなみに、花森さんはポニーテールにしたりと一見、女性と見間違うような雰囲気があったため、スカートをはき、女装をしていたという都市伝説が流布されました。ドラマでも唐沢さんがスカートをはいたシーンも登場しましたが、私も鎭子さんも、花森さんがスカートをはいたところは見たことないんです。ドラマで「あなたの暮し」編集部のシーンは5月末には登場すると聞いていたのですが、実際には7月でした。これはネットでも指摘されていましたが、NHKもずいぶん苦慮したのでしょう。編集部のシーンが多くなり、「暮しの手帖」とあまりに違うので8月15日から「これはフィクションです」と入れてもらうようお願いしました。

――小榑さんは当初、出版指導として名前を連ねていたが、途中から名前を抜いてもらったという。その理由の一つは、ドラマでの編集長の描き方だったという。

小榑:どうしても譲れなかったことは、花森さんの戦争責任についてです。花森さんに対しては、太平洋戦争中、大政翼賛会で働き、「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」などの標語を作った人物だとされ、戦争責任があると一方的に非難する声がありました。週刊朝日(71年11月19日号)で、「ボクは、たしかに戦争責任をおかした」という花森さんの発言が紹介され、これが独り歩きしてしまい、NHKは戦争責任の罪滅ぼしのために雑誌を作った線で、花山さんを描こうとしていました。

 花森さんは当時、私たちにこう語っていました。

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