ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌新連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、福原愛さんを取り上げる。
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「国民的」とは、世代性別を問わず、偏りのない大衆性を持った人や物や現象に対して用いられる言葉です。「ひばりちゃん」や「聖子ちゃん」「安室ちゃん」のように、国民的女性アイドルは「ちゃん」付けで呼ばれることが多く、一方で男性は「ミスター」や「マッチ」「キムタク」といった独自の呼称があるのが特徴です。
そんな中、4年に一度、痛烈に想いを馳せる国民的アイドルがいます。「愛ちゃん」です。はるな愛でも冨永愛でもなく、福原愛。ニューハーフやスーパーモデルといった華やかなジャンルを押しのけ、「愛ちゃん・オブ・愛ちゃんズ」は、よもやの卓球界にいた。現実なんてそんなものです。
現在27歳の愛ちゃんですが、そのキャリアは24年にも及びます。彼女が初めて世間に登場したのは、かつて安藤優子さんがアンカーをされていた夕方のニュース番組でした。天才卓球少女とはいえ、ラケット片手に号泣する姿は、あくまで夕方特有の「ほのぼのコーナー」のひとつに過ぎなかったはず。世間は彼女の「卓球」ではなく「泣く姿」にアイドル性を見出していたわけで、「大きくなったらオリンピックに行けるといいね」も、あの常軌を逸した泣きっぷりへの、言わば「フリ」だったのです。それが本当にオリンピックに出た。しかも気付けば4回も。いつからか世間は、ガチのトッププレーヤーになってしまった福原愛選手に戸惑いつつも、あの「愛ちゃん」の面影を頼りに見守り続けてきたのです。
だからでしょうか。愛ちゃんには20代女子ならではの初々しさや拙さが、ほとんどありません。ひばりちゃんが「真赤な太陽」をミニスカートで唄ったのが30歳の時ですから、それに匹敵する貫禄です。愛ちゃんにとっての「フレッシュ期」は、「泣き虫卓球少女」の数年間だけであり、ミキハウス所属になった9歳ぐらいを境に「中堅」、ジュニア大会で優勝を重ねていた頃には「ベテラン」の領域に、そして初めてのオリンピック出場となった12年前、本来なら「スタートライン」と位置づけるべき時点において、すでに世間は「集大成」的なものを、愛ちゃんに対し抱いていたと言えます。某テニスプレーヤーとの初スキャンダルも、私には「若い男を手籠めにした老舗ママ」としか映りませんでしたし、「婚姻届を手にした謎の男に追い掛け回される」事件も、普通の19歳では醸し出せない、愛ちゃんならではの熟練された魔性故(ゆえ)のことだったのでしょう。魔性こそアイドル最大の性(さが)。少なくとも世間との関係性において、愛ちゃんは間違いなく魔性の女です。それだけ彼女の人生は世間に翻弄され続けてきましたし、また世間も彼女に惑わされてきました。
どうですか、今回のリオ五輪での勇姿。まるで極妻の岩下志麻かと見紛うほどの威圧感。ベテランの域を超え、もはや「首領(ドン)」です。問答無用に「愛ちゃん」と呼ばざるを得ない、まさに「魔性の首領(ドン)」。ちなみに、あの髪の引っ詰め具合は、老女優が皺隠しのためにするレベルだと思います。
美空ひばりが永遠に「ひばりちゃん」であるように、福原愛もまた50歳、60歳になろうと「愛ちゃん」のまま。さもなくば、ひばりちゃんの「お嬢」よろしく「首領(ドン)」と呼ぶしか、私たちに選択肢はありません。私は迷いなく「首領(ドン)」派です。サー!と言えばドン!
※週刊朝日 2016年9月2日号