洒脱と軽妙さを演出する伊達メガネの奥には、慧眼があった。井上ひさし氏との対談の後、巨泉さんはこう書いている。

〈放送にかかわる人間は、テレビ時代とか何とかもてはやされる割りには軽くみられがちである。(中略)しかし実際は放送界は多くのすぐれた人材を世におくっている。井上ひさしさんもその代表的一人である〉

 訃報に寄せられた多くの悼む声も、存在感の大きさを物語る。「クイズダービー」に16年間出演した竹下景子さんは、

「その采配と時間の読みは天才でした。私のコンサートや舞台、ドラマにもよくダメ出ししてくれて『下手だね~』、辛口のコメントが有り難かったです」

「世界まるごとHOWマッチ」などで共演した石坂浩二さんは、「沢山の巨泉さんの姿と言葉が頭の中を巡っています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたい」と悼んだ。故・愛川欽也さんとは同年齢で親友だった。愛川さんの妻のうつみ宮土理さんは「昭和のトークの名人がまた一人、消えてしまったんですね」と追悼した。

 意思を貫く人だった。01年の参院選で、民主党の菅直人幹事長(当時)に請われ、比例代表で当選。だが、安全保障政策をめぐって党執行部を批判し、わずか半年間で議員辞職した。

 当時、参院議員だった俳優の中村敦夫さんは、そのときの巨泉さんをこう慮(おもんぱか)る。

「巨泉さんの政治姿勢は平和主義と環境主義が軸でした。有事法制議論に前向きだった当時の民主党では、巨泉さんの望む通りにはならないと思っていた」

 中村さんは代表を務めていた「みどりの会議」の理念や政策を書いた小冊子を渡し、協力関係を築こうとしたが、辞職を引き止める間もなかったという。

「長い闘病生活の間にも、社会に対するメッセージを発信し続け、凄まじいエネルギーだった」(中村さん)

 週刊現代に連載したコラム「今週の遺言」の最終回(7月9日号)では「安倍晋三の野望は恐ろしいものです」と書いた。それが絶筆となった。

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