Akisakila / Cecil Taylor Unit (AMJ [Trio])
1960年代の末期、新左翼系の学生活動家とシンパにとって、「三種の神器」は吉本隆明、『昭和残侠伝』の高倉健、ジョン・コルトレーンだった。コルトレーンは象徴的な存在でフリー・ジャズと言い換えてもいいだろう。筆者が通った関西のジャズ喫茶にもフリー・ジャズ専門という怖~い店が少なからずあった。欧米はさておき我が国におけるフリー・ジャズの黄金時代は「政治の季節」と重なっている。やがて革命ゴッコが終焉を告げると前衛芸術も疎まれるようになっていく。1973年、社会は“平穏で退屈な日常”を取り戻し、音楽面でも耳触りのいいクロスオーバーが台頭していた。フリー・ジャズの大物、セシル・テイラー(ピアノ)が初来日したのはそんな頃だったが、各地で熱烈な歓迎をうけ感動の嵐を巻き起こす。激動の日々へのノスタルジックな感傷や焼けぼっくいの類ばかりだとは言い切れまい。いまだファンには表現の極北に真摯に対峙する姿勢があったのだと思う。
1973年5月19日、セシルは「セシル・テイラー・ユニット」を率いて初来日を果たす。「ユニット」とはいえ、ジミー・ライオンズ(アルトサックス)、アンドリュー・シリル(ドラムス)と組んだトリオだ。羽田空港に降り立った一行はその夜の公演地、名古屋に新幹線で向かい、京都(20日)、東京(21日・22日)、大阪(23日)、新潟(24日)を巡演した。トリオ・レコードが録音を働きかけ、東京の2日目、第一部の模様をそっくり収めたのが推薦盤だ。収録後にセシルが試聴、発売許可を得て、LP2枚組で発表された。何度かCD化されていて(やはり2枚にまたがる)、バラ売りに独Konnex盤(1992年)と日Venus盤(1995年・1996年)、2枚組に日P.J.L.盤(2002年)と日AMJ盤(2006年)などがある。MP3のダウンロード版を除いて入手はたやすいとは言えないが、言わば谷間で一時的なものだと思う。できれば中古盤を探してほしい。手間には十分に見合うはずだ。
悠雅彦氏がシリル、ライオンズ、セシルの順に名を告げるにつれて歓声が大きくなる。やおら調性のあるテーマが提示されるが束の間で、あとはドシャメシャに突き進むのみ。LPでもCDでも2枚にまたがるが演奏は1曲、81分20秒一本勝負だ。なんとも情けないが怒涛の81分20秒をお伝えする筆力はない。ドシャメシャだが一か八かの出鱈目ではなく緻密に構成されている。緻密に構成されているが見え見えの仕掛けは排され、いい意味でフラットだ。展開の主導権を握るセシルのプレイは時の流れに応じてパターンが変わる。ライオンズは概ね15分吹いては15分休むといった格好だが、セシルは弾きっぱなしで、シリルは叩きっぱなしだ。一体全体、どんな身体をしているのか。永久機関さながらだ。息をも付かせぬ猛威の連続に悶絶した者がいたのではないか。生涯有数の集中力と体力を要求される一作だが、耐えた者だけが痛快なカタルシスを味わえる。ぜひ挑戦されたい。
アルバム・タイトル『アキサキラ』はセシルが名付けた。スワヒリ語で沸騰を意味する。演奏にメスを入れると沸騰した水銀が現れるジャケットも、ホットに見えて実にクールな「ユニット」の実態を表して秀逸だ。日本フリー・ジャズ史に残る傑作ライヴと言える。
第二部ではセシルのダンスとチャントを主役に据え、ライオンズとシリルがヴォイスと打楽器でサポートするパフォーマンス《バレエ・インプロヴィゼーション》が演じられた。聴衆を魔法にかけたとされる。記録は残されているようだが作品では発表されていない。
全日程を終えたセシルはソロ作の録音に臨んだ。『ソロ』は本作を凌ぐ傑作となった。スタジオ作だが併聴していただきたい。「テイタムの前にテイタムなく、テイタムの後にテイタムなし」という至言はセシルにもあてはまる。およそ凡作のない人だが1970年代の半ばは一つのピークにあった。その時期に日本で2作も傑作を残してくれて幸せに思う。
【収録曲一覧】
[Disc 1]
1. Bulu Akisakila Kutala Part 1
[Disc 2]
1. Bulu Akisakila Kutala Part 2
Recorded At Kosei Nenkin Hall, Tokyo, May 22, 1973.
Cecil Taylor (p), Jimmy Lyons (as), Andrew Cyrille (ds)