79年夏、延長十八回に及んだ箕島―星稜戦では三塁塁審を務め、十四回に「隠し球」で箕島の走者がアウトになったプレーをジャッジ。冷静な見極めと判断力が見事と評された。星稜のエースだった堅田外司昭(かただとしあき)さん(54)は、おかげでピンチを切り抜けたと振り返る。

「星稜側でも、(隠し球を)知っていたのは私ぐらい。その中でさすがによく見ていただきました」

 堅田さんは、その後甲子園で審判を務め、達摩さんとは何度も話をする機会を得たという。

「審判もいろんな角度から野球を見なければいけないとご指導いただきました。甲子園でも選手たちの緊張をほぐそうとよく声をかけて、いいゲームをしよう、と常に言われていました」

 永野さんとの電話取材ではこんなやりとりもあった。

「今ね、達摩さんの写真を眺めていまして、誰かに送ろうとしていたんです」

 そう言って永野さんが送ってくれた写真は、達摩さんが隠し球でアウトを宣告している瞬間が写っていた。

「心のこもった審判でした。選手のために自分の職務をきちんとこなす。この写真は達摩さんの人柄を象徴する1コマです。今頃は天国で佐伯さんと野球談議をしてるんじゃないでしょうか」

週刊朝日 2016年5月20日号

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