作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。東日本大震災から5年が経ったが、近頃、避難者の集いに参加したという。

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 沖縄県と国が「和解」したというニュースが流れた。これからどうなるのかは、分からないけれど、とりあえず、辺野古の海の工事はいったん、止まった。「国」が決めたら、話は早いのだと、改めて思った。そう、原発やめる、って決めればやめられる。憲法守ろう、って決めれば守れる。

 もし「国」が、原発やめる!と決めていたら、この5年は全く違うものになっていただろう、と想像する。オリンピックの熱狂よりも、具体的に人を救うお金の使い方を模索できただろう。停止している原子炉全てから燃料棒を取り出していったら、いったい何本処理できただろう。5年の間にできたことは、きっといっぱいあっただろう。

 先日、東京の弁護士会館で行われた避難者の集いに参加した。会場で、フォトボイス・プロジェクトというNPO法人の女性たちに出会った。被災した女性たちが、日常をカメラに収め、定期的に写真について語り合うことで、今抱えている問題を可視化し、言葉にならない思いを言語化するプロジェクトだ。

 いわゆるプロが撮ったジャーナリズムではない。写されているのは、一枚の食パンや、子どもの後ろ姿や、東京の夜景など、一見何でもないスナップ写真だ。大きく引き伸ばされたそれらの一枚一枚に、女性たちの記憶が刻まれている。震災2日目の夜、家族4人に渡された一枚の食パン。避難所で菓子パンの生活が続き、丸々としてきた子どもたち。5年経っても帰れないなど夢にも思わず、東京見物の気分で撮った夜景。

 
 女性たちの写真は、大きく何かを主張することはない。カメラを持っていなければ日常の中で消えていく記憶かもしれない。だからこそ、写真に記憶された声と視線が際立つように思う。そして、突きつけられた。5年間、私は、どのように、生きてきただろう。

 その日、会場では医師の青木正美先生が講演をしていた。弁護士と医師、違う分野の専門家が連携し、被災者をサポートするという、日本で初めての取り組みを始めたという。

 自然災害“だけ”だったならば、身を切るような絶望ですら、時間が味方することもあるだろう。でも原発事故は違う。時間が経つほどに、解決できない問題が理不尽さを増して、前に立ちはだかる。精神のバランスを崩す人も少なくない。これまで人類が体験したことのない大規模の事故に対し、心身の健康と法律的な知識、両面で被災者をサポートしていく専門家の存在が必要だと、青木先生が声を上げた。

 5年経って、「国」のやってきたこと、やってこなかったことが、大きな声を上げられない人たちに、重くのしかかってきている。安倍さんはいつも民主党をけなしては「俺の自慢」を語りたがるけど、煩(うるさ)いよ。今も苦しめられている人たち、そしてその人たちと共に歩こうとする人たちの声を聞くべきだ。誹謗中傷を喜々として行い、俺自慢を繰り返す中身なさそうな男。そんな「国」に、これ以上振り回されたくない。

週刊朝日 2016年3月25日号