勘介の母にとってはすべてが想定内。輝虎の、短気で義を重んじる性分を理解したうえで、わざと剛情で不遜な態度をとり、敵の策略をかわしたわけです。つまり、軍師の母は軍師以上に軍師でした。
というように、物語の中心となるのは輝虎でも勘介でもなく勘介の母。人形浄瑠璃の時代物のなかで、語るのが大変難しく語り甲斐のある三大母親役は「三婆(さんばば)」と呼ばれます。この勘介の母は、菅原伝授手習鑑の覚寿(かくじゅ)、近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)の微妙(みみょう)と並ぶ三婆の一人です。
今回、私はこの場面、輝虎配膳の段の奥を務めます。実は、この演目は師匠の父・八世竹本綱大夫師匠から代々大事にしてきた演目です。近松の戯曲は言葉で聴かせる芝居のため、字余り字足らずが多く、三味線のリズムと合っているかも分からないほど太夫泣かせの難解なものばかり。これまで先人たちが工夫して語ってこられたように、私も自分から戯曲に歩み寄って、近松の生きた言葉を理解し、そのダイナミズムを伝えていけたらと思っています。
特に、「この婆を餌にして山本勘介を釣寄せんとは、ハハハハハ」という言葉は勘介の母が輝虎に対する無礼を心で詫びながら、武士の母として誇りと貫禄をもって振る舞う場面です。完全に輝虎を食う三婆の凄みをぜひ劇場で感じていただけましたら。
豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう)
1975年、大阪市生まれ。83年、豊竹咲大夫に入門。86年、「傾城阿波の鳴門」おつるで初舞台。今回の「信州川中島合戦」では輝虎配膳の段の奥を務める。
※「信州川中島合戦」は2月6〜22日、東京・国立劇場小劇場。午前11時開演。公演の料金や空席状況の詳細は国立劇場チケットセンター(ticket.ntj.jac.go.jp)。
(構成・嶋 浩一郎、福山嵩朗)
※週刊朝日 2016年2月5日号