沖縄の言論界はいま、本土との関係を根本から問い直す議論が活発だ(※イメージ)
沖縄の言論界はいま、本土との関係を根本から問い直す議論が活発だ(※イメージ)
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 独自の外交権を持っていた琉球王国。日本国となったそもそもの出発点とは──。沖縄の言論界はいま、本土との関係を根本から問い直す議論が活発だ。「琉球処分」をめぐる議論は花盛りの様相を見せ、堂々とアイデンティティーを主張し始めている。沖縄はどうなっていくのか、ノンフィクションライターの三山喬氏は、政府の高圧的な姿勢が眠っていた感情まで呼び覚ましつつあるという。(文中敬称略)

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 沖縄県内の論議は「イデオロギーよりアイデンティティー」という翁長雄志知事のスローガンそのままの方向に進んでいる。

 保革を分かつ長年のテーマだった基地問題の裏側に、「沖縄対本土」というもうひとつの対立軸が隠されていた。そのことを、少なからぬ県民が意識するようになったのだ。

 最近は、「沖縄戦以来」という時間的な枠組みをも飛び越えて、沖縄が日本国となった“そもそもの出発点”19世紀後半の出来事にまで議論が及んでいる。

 政権の高圧的な姿勢は、沖縄で1世紀以上、眠っていた感情まで呼び覚ましつつあるのだ。

 昨春、沖縄タイムスのコラムに「頑固党の思想性」と題する一文が載った。寄稿者は石原昌光という沖縄市の歴史愛好家だ。

 1879年(明治12年)の「琉球処分」(日本への併合)のあと、沖縄では琉球王国の復興を求める「頑固党」と併合を容認する「開化党」という旧士族間の対立があった。石原は前者を漠然と「失われた権益にしがみつく旧支配階層の士族たち」と考えていたが、そのひとりの言葉を書き取った記録を読み、認識を改めたという。

≪(明治政府の)実質の権力は薩摩が一手に握っている。薩摩が牛耳る政府が琉球に仁政を施すだろうか≫

≪日本は小国でありながら、武力で難局を乗り越えようとする。いつか日本は敗北する。その時、琉球はどうなるのか。古草履のように捨てられる≫

 意外なほど冷静で的確なこの人物の時代認識は、「頑迷固陋」というイメージを覆すに十分なものだったという。

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