さまざまなパフォーマンスでファンを魅了し、“お祭り男”として球場を湧かせた埼玉西武の森本稀哲(もりもとひちょり・34)が、現役時代の思い出を明かした。
* * *
引退試合は、最高の展開でした。僕は八回表の守備から7番・右翼で出場。裏の攻撃は1番打者からで、普通なら打席は回ってこない。でもみんながつなげてくれ、打席が回ってきた。漫画みたいな奇跡が起きたんです。フルスイングしてサードゴロでしたが(笑)。
試合中はもう、感謝の気持ちでいっぱい。チームのみんなのことを好きだったな、楽しかったなと。そしてみんなも僕のことを好きだったんだな、と勝手に解釈しています(笑)。
特に、中村(剛也)選手とは毎日一緒にいましたね。遠征先のホテルでご飯を食べたり、試合後、部屋に遊びに行ったり。僕が「今日、夜は予定がある」って言ったら、「じゃあ僕はどうしたらいいんですか」って。違うチームのときは、僕が話しかけても挨拶だけでぱっと消えていたんですが、同じチームになり、家族みたいになったんです。
引退を考えたのは8月。1軍でチャンスをものにできず、「自分の目指す野球と離れてきたな」と。奥さんに「覚悟しておいて」と話し、9月半ばに決断しました。まだ2軍の試合が続いていたけど、選手たちには伝えられなくて。若い選手にできる限りのアドバイスをしました。引退を伝えたときは驚いていましたよ。体は元気でしたから。でも中村選手は「そうだと思っていました」って。わかっていたんですね。
印象に残っているのは、2005年、東京ドームの巨人戦で、ホームランを2本打ったこと。04年までは守備固めがメインの選手だったので、激励のメールがいっぱい来ました。翌06年はレギュラーに定着し活躍したと言われますが、自分は必死。毎朝起きたら「結果を残さないとはずされる」と不安になり、結果が残っても寝る前は携帯電話で打率をチェックして、「これで明日もチャンスがある」っていう連続。今ようやく、あのときは楽しかったと思えます。
野球一筋だったので、今後はもっと社会のことを勉強したいですね。多くの指導者と接した経験を生かして「選手の力を伸ばせる指導者」について講演もしたいです。それは会社の上司と部下の関係に通じるところがあると思っています。第二の人生、楽しみです!
※週刊朝日 2015年11月13日号