安倍首相はTPP交渉が大筋合意したのを受け、「世界に誇るべきわが国の国民皆保険制度は今後も堅持いたします」と嘯(うそぶ)いた。
だが、TPPは極端な秘密交渉であり、国民はその内容を知る術を持たない。
「従来の保険適用の範囲内で行われてきた医療行為は、そのまま残すでしょう。私たちが危惧しているのは、新しい治療法や新薬が開発されても保険適用されないのではないか、ということです。新しいがん治療である分子標的治療や抗体医薬などは高額になります。医療費の抑制が最重要課題の厚労省としても保険で面倒を見たくない。アメリカの求めるまま混合診療を解禁し、患者に自己負担を強いる可能性が高い。すると、国民は不安になるから、民間の医療保険に加入します。アフラックなど外資系保険会社が儲かる仕組みとセットになっているのです」(西尾氏)
結果、医療格差はますます拡大するという。
そして食品の安全性では、遺伝子組み換え(GM)作物がフリーパスになるだろう。GM作物は除草剤耐性や害虫を殺す毒素を持ち、摂取すると発がん性など人体への悪影響も指摘される。現地で交渉を見守っていた山田正彦元農水相が語る。
「GM作物を加工した遺伝子組み換え食品は、日本の食品衛生法では表示義務があります。逆に『遺伝子組み換えではない』と表示することも許されています。アメリカは、こうした表示がGM作物の輸出を妨げていると異議を唱えている。ここでも、ISDS条項を盾に表示義務が取り払われることが考えられます。GM作物のトップメーカーはアメリカの化学会社モンサントで、TPPを強力に推進しています」
モンサントは、ベトナム戦争でまき散らされた「枯れ葉剤」を製造していたメーカーだ。現在は、除草剤や殺虫剤など農薬を開発しながら、それに耐えうるGM作物の種子を販売しているというわけだ。
「GM作物の多くは大豆とトウモロコシで、アメリカ人は食べずに家畜のエサにしている。モンサントの社内食堂では遺伝子組み換え食品の提供が禁止されているという笑えない話もあります。しかし、日本では大豆は納豆にして食べるし、醤油や味噌の原料です。トウモロコシもコーンスターチにしてさまざまな食品に使われています。GM作物を最も摂取させられるのは、日本人かもしれません」(前出の西尾氏)
さらにモンサントが製造するネオニコチノイド系農薬は、農作物の内部まで浸透して洗っても落ちないから深刻だ。近年、世界中で起きているミツバチの大量死の原因とも疑われる。
EUが規制したのとは逆行して、今年5月、厚労省は食品残留基準を緩和したが、アメリカの意向を汲んでいるとしか思えない措置である。
国民の健康と医療をアメリカに売り渡しながら、安倍政権の面々はドヤ顔で会見に臨んだ。他の国々から見れば、滑稽かもしれない。
(本誌・亀井洋志)
※週刊朝日 2015年10月23日号より抜粋