人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「名前で人生は変わる」について。
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知人宅へ行くのに、馴染みの花屋で椿を求めた。椿はポトリと花ごと落ちて不吉という人もいるが、名前が「光源氏」という珍しい種類だった。春先に源氏の君が訪れるのはいかにも華やいでいると思ったのだ。
花の名前は様々だった。「光源氏」もあれば「紫式部」という小さな紫の実のなるものもある。
人間の名前もどんどん幅が広がり、かつては「〇〇子」「〇〇郎」などが多かったのが、現在はいわゆるキラキラネームなるものが流行っている。
いったいいくら頭をひねっても、なぜそう読むのかわかりかねるものや、あまり飛躍しすぎた読み方など。自分の子の名前ぐらい気に入ったものにしたいのは当然だが、そして愛する子供にイメージのある名をつけたい親心もわからないではないが、あまりに凝りすぎると逆効果になる。
最近で私が気に入ったのは史上最年少でタイトルを獲得した女性棋士、仲邑菫(すみれ)。その名にふさわしい愛らしさと目の輝き。そういえば将棋の藤井聡太という名もいかにも聡明で、一人静かに瞑想する感じが出ている。
よくぞこんな名を親がつけたものだ。誰にも真似の出来ない才能と個性は、名前が先か人が先か。
名前によって人生が変わるとは、ある程度言える。特異な才能の持ち主はそれにふさわしい名前を持つ人が多いからだ。いや、その人物の努力によって素晴らしい人生を送ったから、名前が輝いて見えるのか。名前が良かったからそう思ってしまうのか、どちらとも言えない。競馬などでも名前で買うと単勝買いならある程度当たる。
振り返ってわが名前、下重暁子を私は気に入っている。下重という珍しい苗字に、暁に生まれたので暁子がマッチして私という人間を形造っている。子供の時は下が重いという苗字が嫌いで下條ならよかったのにと思ったが、今は下重がいい。