Neil Young Archives 1 (1963-1972)
Neil Young Archives 1 (1963-1972)
この記事の写真をすべて見る

 ニール・ヤングは、1945年11月、カナダ東部オンタリオ州で生まれた。つまり、「ロックンロールの誕生」はちょうど十代を迎えたばかりのころということになる。ニール少年もその熱に冒され、ギターを手にとった。ハイスクール時代に組んだ最初のまともなバンド、ザ・スクワイアーズで腕を磨き、さまざまな挑戦をつづけていった彼は、さらに大きな夢を実現させるため、66年の春、中古の霊柩車でカリフォルニアへと向かっていく。09年リリースTHE ARCHIVES VOL.1のディスク0には、その当時の貴重な音源がデモ・ヴァージョンを中心に収められている。
 シャドウズやヴェンチャーズを目指していたと思われるスクワイアーズの曲は6曲。ローカル・ヒットを記録した「ザ・サルタン」は、もろにシャドウズだが、次第にニールがヴォーカルも担当するようになり、のちの名曲「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」の原典といえる「アイ・ワンダー」という曲もすでにこの時点で残されていた。その記念碑的な曲も聴くことができる。
 スクワイアーズには女性ファンもつき、そこそこの金を稼げるようになったが、ボブ・ディランから強い刺激を受けたニールはバンドを去る。マーティンを手に入れてフォーキーな方向性を打ち出し、シンガー・ソングライター=ニール・ヤングとしての第一歩を踏み出したのだ。互いにまだ無名の存在だったスティーヴン・スティルスやジョニ・ミッチェルに強烈な印象を残していたこの時期からは、代表曲のひとつ「シュガー・マウンテン」の最初のヴァージョン、「アイ・アム・ア・チャイルド」の原曲「ザ・レント・イズ・オールウェイズ・デュー」、のちにバッファロー・スプリングフィールドで正式録音される「クランシーは歌わない」などが収められている。
 北の国で送った青年期に残された音源は、まさに原石と呼べるもの。荒削りで、もちろん稚拙な部分も少なくないが、66年以降に展開されていくことになる創作活動の方向性がすでにほぼ確立されていたことがわかるはずだ。

▼▼▼AERA最新号はこちら▼▼▼