エブリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス/ビル・エヴァンス
エブリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス/ビル・エヴァンス
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 1985年から1990年にかけて興ったバブルの時代、日本人全員がまるで熱病に冒されたように消費に明け暮れた。

「もっと良い生活を」「もっとグレードの高いものを」と、満足することなくどんどんエスカレートしていった。ベンツやジャガー、BMWなどの高級車をハタチそこそこの若造が乗り回したり、女子大生がゴルフ場の会員権を持っていた20万円もするようなスーツが飛ぶように売れたり、とにかくおかしな現象が数え切れないほど起きた。

 彼等は高級車や高級スーツの真の値打ちを知って購入したわけではない。それらを持つということが第一にステータスだったからだ。ただし、それらのモノが彼等に「高級品とはどういうものか」ということを教える教育効果もあったことは認めざるを得ない。

 ジャパンマネーも強かったので、世界中のありとあらゆる高級品とハイソな生活スタイルが流入してきた。畳の上にベッドを置き、ミュージシャンのポスターも思うように貼れない綿壁や襖の絵柄を忌々しく思っていた若者は、こぞってフローリングの洒落たワンルームマンションに移り住んだ。そんな若者達の生活スタイルに合わせて、24時間営業のコンビニエンス・ストアが、JimmyJazzのある大阪市西淀川区に登場したのもちょうどこの頃である。

 日本人のライフスタイルは、この時期に物凄いスピードで進化を遂げた。いままで諦めていたような暮らしが、誰でも少し頑張れば簡単に手に入るようになった。いくらでも仕事はあったし、アルバイトであっても法外な時給が支払われた。

 この日本全国を挙げてのお祭り騒ぎのような経済状態は、当時の日銀総裁の「自己顕示欲による失策」と、マスコミによる「バブル叩き」によって、あっけなく崩壊してしまう。ぐんぐん値上がりを続ける土地の値段に対し、「これほどまでに急騰するのはけしからん」とばかりに、マスコミが一斉にストップをかけた。国民の嫉妬心を煽り、センセーショナルな記事で部数を伸ばそうとした結果、とうとう株や証券を大暴落させてしまったのである。

 自らを過信して暴君のように振るまい、取り返しのつかないことをしてしまったのは日銀やマスコミだけではなかった。

 レコードを聴くことと、お客の喜ぶ顔を見ることだけが楽しみだった純朴な青年店長は、いつしかブランド物の洋服に身を包み、若くして洒落た店のオーナーであることを鼻にかけるような奴になっていた。

 高級車やゴルフには興味がなかったが、彼等となんら変わりない。高価な贈り物、豪勢なレストラン、TVドラマのように洒落た暮らし。それらを喜び、手に入れることこそが幸福だと勘違いしていた。

 そんな店長の態度が、やがて従業員たちの反感を買っていったことは想像に難くないだろう。

 付き合っていた彼女にまで愛想を尽かされた。ついでのように書いてるが、本当はこれがいちばん辛かった。

 いい娘だった。
「なんて静かな曲…」 ビル・エヴァンスの「Peace Piece」を聴かせると、そう呟いてた。悲しくて美しい瞬間だった。くさいセリフだが、「このまま時間が止まってしまえばいい」と本気でそう思った。

 しかし、願いは叶わず、彼女は去って行った。

 友人や恋人の裏切りを嘆き、裏切らざるを得ないところまで追い詰めてしまった自分を責めた。かつて従業員達を「ヤセの大食い」とあきれさせたほどの食欲も失せ、仕事の合間の昼食も、箸をつけただけでゴミ箱に捨ててしまう毎日。

 バブルが崩壊しても急激に売上が下がることはなく、金に困るようなこともなかったが、どんな高級ブティックを探してみても、「たいせつなもの」は売ってなかった。

 いつものように食べたくもない弁当とにらめっこしていると、「食え!」と命令が下った。「いつまでも甘えてるんじゃない!さあ、食え!」

 それは自分自身からの命令だった。「食欲があろうとなかろうと、おまえは飯を食うのだ!」「そうだ!いいぞ!食え!」「残さず全部食ってしまえ!あれも、これも、食ってやれ!」「そうだ!何もかも全部だ!」

 弁当を無理やり腹に詰め込んで、わたしは再びゆっくりと歩き出した。

 以前のような華々しいことはまるで無かった。ただ毎朝9時に店に来て、ジャズをかけ、仕事をした。お客さんが喜んで来てくれることだけが唯一の救いだった。

「新しい彼」は、ある日突然、スクーターに乗って現れた。わたしと同じく床屋の息子である「新しい彼」は、わたしに向かってこう言った。

「マスター?」

 わたしはそれまで従業員にもお客さんにも「店長」と呼ばれ、親父が「マスター」と呼ばれていた。支店としてのJimmyJazz、その責任者である「店長」という位置付けだったが、そもそも店には一人きりしか居ないのに店長もくそもない。

 永らく一人で店を守ってきた貫禄が出てきたのか、初対面の若い彼にはたんに中年に見えただけなのか、それともたまたまなのか、とにかく「新しい彼」は、わたしをそう呼んだ。

 ――――――― そうとも。 わたしは、JimmyJazzのMasterなのだ。

「Jazzの聴ける理容室~JimmyJazz物語」 終

【収録曲一覧】
1. Minority
2. Young and Foolish
3. Lucky To Be Me
4. Night and Day
5. Epilogue
6. Tenderly
7. Peace Piece
8. What Is There To Say?
9. Oleo
10. Epilogue
11. Some Other Time (mono)

Bill Evans (p),Sam Jones (b),Philly Joe Jones (ds)
[Riverside] 15.Dec.1958 Engineer:Jack Higgins(Reeves Sound Studios)