女性ロッカーの先駆者だったシーナ&ロケッツのボーカル、シーナさん(61)がこの世を去った。長い黒髪、革ジャン、網タイツがトレードマークのロッカーであり、妻であり、3女の母だったシーナさん。夫で同バンドのギタリスト、鮎川誠さん(66)が本誌に最期の日々を語ってくれた。
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――最後のライブは11月21日、渋谷で開催されたファッションブランド、ヒステリックグラマーの30周年記念パーティーだった。10月の後半に回った北海道ツアーが過酷だったこともあり、11月に入る頃、シーナさんは立てなくなったという。
元陸上選手でカモシカのように軽やかにステップを踏んでいた足が動かなくなり、僕はショックを受けました。もうライブはやめようとしましたが、最後のステージとなったパーティーの前日、ファッション界の素晴らしいスタッフの方々に最高の椅子をお願いして、シーナはいつものように激しく歌いました。
でも、その後、シーナは家でも車椅子で生活するようになり、病状は悪化しました。11月23日、シーナの誕生日に家族でパーティーをしている最中、腹痛を訴え、そのまま緊急入院しました。
――がんの転移は進んでいた。背中に転移したがんによる足の麻痺を治そうと、医者の勧めで手術をした。子宮頸がんの末期症状を緩和するため、放射線治療も始めたという。
1月に入ると治療の副作用が始まり、腸閉塞(へいそく)に苦しむようになりました。病院では首の静脈から点滴を入れていました。食事はできず、水を舐めるのが精いっぱいの状態でした。
僕は病室にパソコンでランダムに再生できる音楽データを持って通うようになりました。「今まですごい歌を作れて、よかったね」って話しかけ続けましたが、声が届かなくなり、シーナは燃え尽きるように息を引き取りました……。
――最期、「ROKKET RIDE」を聴きながら、シーナさんは鮎川さんの腕の中で亡くなったという。
When forever ends There’ll be you&me――“永遠が終わっても俺とお前は一緒だぜ”という意味の歌詞です。僕らは出会ったその日にロックの話をいっぱいして、意気投合した。そこから44年間、ずっと離れたことはありません。
僕はシーナの分身で、シーナは僕の分身です。もっと一緒におりたかったけど、いっぱい楽しい時間を過ごせたから、僕は幸せです。今はただ、シーナを愛してくれた素晴らしい仲間たちやファンの方々に、ありがとうと言いたいです。
(構成 本誌・福田雄一)
※週刊朝日 2015年3月6日号より抜粋