晩年の家康が、幼い3人の子を集めて欲しいものを聞いた。九男の尾張家初代・義直は「きれいなお道具」、十男の紀伊家初代・頼宣は「広い領地」、十一男の水戸家初代・頼房は「天下が欲しい」と答えたという──。それぞれの家風が色濃く残るゆかりの地を巡る。
[静岡・岡崎編]
家康が人生の3分の1を過ごした静岡、天下取りの礎(いしずえ)を築いた浜松、生誕の地の岡崎には、家康ゆかりの名所旧跡が多い。
家康が埋葬されている久能山東照宮では、毎年家康の命日に徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏を迎えて御例祭が行われる。通常1日だけだが、今年は5日間に拡大。4月15~19日に「御鎮座四百年大祭」が開かれる。徳川氏をはじめとする衣冠束帯の行列は華々しい。
浜松城は別名「出世城」とも言われる。長篠の戦いも小牧・長久手の戦いのときも、家康はこの城を拠点としていた。8月には、城内で「甦る! 若き日の家康公展」が開催される。
江戸時代には「神君出生の城」として神聖視された岡崎城。天守閣がある岡崎公園では、秋から冬にかけて「家康公四百年祭 岡崎城まつり」「岡崎城下家康公秋まつり」「家康公生誕祭」と、“家康まつり”が目白押し。
没後400年で、3都市はアツく盛り上がっている。
[尾張編]
家康の九男義直を祖とし、諸大名の中でも最高の家格をもっていた尾張徳川家。その大名道具は徳川美術館に1万件以上残っている。
館長で、現当主でもある徳川義崇(よしたか)さんに、一番のお宝は何かを聞いた。
「世界的にも有名なのは『源氏物語絵巻』ですが、なぜうちにあったのかという経緯はわかりません。尾張徳川家として大事なものといえば、将軍家から来た千代姫の嫁入り道具『初音の調度』でしょう」
“殿の逸品”を見るだけでも、名古屋に足をのばす価値はありそうだ。
[紀伊編]
紀伊徳川家は、8代将軍吉宗、14代将軍家茂と、2人の征夷大将軍を出している。なんといっても地元では「暴れん坊将軍」吉宗が絶大な人気かと思いきや、現当主・徳川宜子(ことこ)さんは意外なことを言う。
「和歌山では、吉宗よりも初代・頼宣を慕ってくださってます。頼宣が親孝行の大切さを領民に教えるために、儒学者に書かせた『父母状』の教えが和歌山の人たちに染みついているからです」
市内を歩けば、紀州東照宮や観海閣(かんかいかく)など、頼宣が建てたものに出合えるだろう。
[水戸編]
水戸市内には黄門像がたくさんある。「水戸黄門」こと2代・光圀は水戸のスーパースターなのだ。日本で初めてラーメンを食べたとされるが、現当主・徳川斉正(なりまさ)さんは笑ってこう話す。
「記録にあるのは、光圀にうどんをご馳走になった朱舜水(中国の儒学者)がお返しをしたときの買い物メモだけ。書いてあるのは大量のハスの実の粉などで、麺かどうかすらわかりません」
水戸は、歴史のロマンにあふれている。
※週刊朝日 2015年1月16日号