世界文化遺産でもある伝統芸能・人形浄瑠璃文楽。とっつきにくいイメージもあるが、韓流歴史ドラマのようにわかりやすく、楽しめるものもあるという。そんな文楽作品を、次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんが紹介する。
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「みをづくし難波に咲くやこの花の」
文楽作品は大きく分けて時代物と世話物の二つの種類があります。時代物とは武家社会の話で、世継ぎを巡るお家騒動などが主なテーマ。一方、世話物は今で言うワイドショーの事件リポートといったところ。
実際に起きた心中や殺人事件を扱うケースもあり、一月に大阪で上演する「冥途(めいど)の飛脚」は1710年の公金横領事件がモデルになっています。飛脚屋の忠兵衛が遊女の梅川に心を奪われ、店の金に手をつけて破滅へと向かっていく史実を、事件当日の忠兵衛の足取りを追って作られていることから、「とくダネ!」や「モーニングバード!」を見るような感覚でご覧になれると思います。
作品は「曽根崎心中」や「女殺油地獄」と並ぶ、近松門左衛門の代表作。文章力、構成力が見事で、一段目の淡路町の段の冒頭、太夫が語り始める、まさに最初のひと言、「みをづくし難波に咲くやこの花の」がいきなりの名文なんです!
「澪標(みおつくし)」とは水先案内に使われる杭のことで、水都である大阪を示す枕詞でもあります。これが「身を尽くし」と掛かっており、続く「難波に咲くやこの花の」は古今和歌集仮名序の短歌を引用していて、「この花」は梅で、遊女の梅川を指し、梅川との恋に溺れてしまう忠兵衛の運命をたった一節で暗示しているんです。浄瑠璃作者の言葉に対する深さは天才的ですよね。
展開は名文通りで、忠兵衛は梅川を身請けしたい一心で、友人の八右衛門の店へ渡すはずの金に手をつける始末。普通、飛脚屋が客の金を使い込めば打ち首ですが、友人思いの八右衛門は忠兵衛を許します。しかし、忠兵衛は別の客に届けなければいけない三百両(今の約三千万円)を懐に入れて店を出るも、気づけば梅川のいる遊郭へと足が向いてしまいます。そして、客の屋敷がある北へ金を「おいてくれう」か、梅川のいる南へ「いてのけう」か迷った揚げ句、理性を失い遊郭へ。このシーンは、恋に浮かれた忠兵衛の姿から通称・羽織落としと言われ、運命の分かれ道で行きつ戻りつを繰り返す忠兵衛の足取りと太夫の語り、三味線のリズムがバチッと合い、悲しい顚末を予感させる名場面。見逃せません!
近松の文章は五七調のセオリーを逸脱した字余り字足らずが多いため、語るのが難しく、文章を読み込む力や人生経験が伴わないと聴く人の心を打つことができないと言われています。特にこの段は私の師匠が何遍も務めていて、語りを勉強させてもらっていますから、いつかは自分が受け継ぎたいと強く思っています。
結局、八右衛門の友情むなしく、忠兵衛は客の金を梅川の身請け金にしてしまいます。続きは劇場でご覧いただくとして、同じく一月に大阪の松竹座で「冥途の飛脚」の改作である「恋飛脚大和往来」が歌舞伎で上演されます。こちらは内容が少し異なり、友人の八右衛門が忠兵衛の恋敵という全くの別人設定(笑)。二人の八右衛門を見比べるチャンスはそうないと思いますので、新春はぜひ大阪でお楽しみください。
豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう)
1975年、大阪市生まれ。83年、豊竹咲大夫に入門。86年、「傾城阿波の鳴門」おつるで初舞台。「冥途の飛脚」では道行相合かごの段で忠兵衛役を務める。
※「冥途の飛脚」は1月3~26日、大阪・国立文楽劇場。午後4時開演。15日のみ休演。料金や空席状況の詳細は国立劇場チケットセンター(ticket.ntj.jac.go.jp)。
(構成・嶋 浩一郎、福山嵩朗)
※ 週刊朝日 2015年1月2-9日号