矢野が最初に演奏をしたカフェ・クレールにて。[1]
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New York Charlie Parker Place にて ※矢野沙織撮影
矢野が最初に演奏をしたカフェ・クレールにて。[2]

 皆さんこんにちは。
 ジャズ・アルト・サックスをしております矢野沙織です。

 ジャズをやっている、なんて仰々しく申し上げてみても私の場合は、子供のころにたまたまブラス・バンドへ入り、たまたまアルト・サックスの担当になり、また、テレビのない家庭で育った私の娯楽と言えば父の趣味でもあった音楽と読書しかないといった割に暗い子供だったので、図書館に通っていて、ほんのある日にたまたまジャズに出会ってそのまま今に至る、くらいの至極気楽なものなのです。
 でも、この気楽な存在がいかに大きかったかは子供時代の私に色濃く反映されたようでした。
 インサイドな性格だった私は楽器を持って少し褒められたことで、たちどころに明るくなり、友達なども出来て、あっという間にみんなで木に登ってはリコーダーを吹くような陽気になったのでした。
 それからは中学へ入り、多感な時期祟って少々遊び歩き、中学二年生のある日「これはいけないぞ。」と焦り、仕事を探しにジャズ・クラブへ行きました。

 そこで待っていたのは、本で読んだ「ジャズ・クラブにはその日出演したい若者がバックヤードから外に溢れるほどの行列をなしていて、当たれば1日でスターになれた」1930年代のニューヨークとは違い、当時は棒のようだった中学生の私に当たる風は弱からずなものでした。
 そもそも、一晩でスターになろうなんていうタイプの野心はないから日雇いくらいならまあイケるだろうと思っていただけに、まるで仕事なんかさせてはくれない社会の雰囲気には術を失いました。
 当時の私は、大して演奏に自信があったわけでもないのに「残る方法はともかく片っ端からジャズ・クラブに電話をして、まずは演奏を聴いてもらわなくては」と思ったらしく、それを実行しました。
 何だかんだとありまして、ようやく西新井にあるカフェ・クレールさんに話を聞いてもらうことが出来ました。
マスターはとんちんかんな私に、バンド・リーダーでライブをする事は容易でないこと、共演者を見つけなくてはいけないことなどを優しく教えてくれました。そんなことも解らなかったのだから、今思うと本当に無知は変に強い分おそろしい。

 それからはカフェ・クレールに来るミュージシャンのステージに上げてもらっているうちに今のディレクターに会い、周りの大人が正しく導いて下さり、ニューヨークへ行ったりCDを出したりして今に至るわけです。

 私が少し頑張ったのは自己営業のほんの一瞬です。
 あとは周りの方に助けられて今日まで参りました。

 どうでしょうこの感じ。
 最早申し訳ないです。

 私はジャズを机の上でうんうんと一生懸命勉強したことはありません。

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矢野沙織 Live Schedule
2013.3.18 大阪ロイヤルホース 矢野沙織カルテット
2013.3.23 西新井カフェ・クレール 矢野沙織カルテット
2013.4.30 & 5.1 目黒Blues Alley Japan 矢野沙織 Special 2days
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