群馬の秋は、日本で最も遅い。毎年10月中旬に差し掛かっても、黄金色の稲穂が当たり前のように田んぼに広がっている。その理由は、赤城山、榛名山、妙義山の上毛(じょうもう)三山が冬場に吹き下ろす「空っ風」が麦作に適しているため、田植えは麦を刈り取ったあとの6月に行われるからだ。
例年どおり、少し遅めの実りの季節がやってきた。ところが、高崎市でコメ農家を営んできた木村一彦さん(67)は、45年間の百姓生活で今年ほど気のめいる秋はないという。木村さんは、今年1月と8月に相次いで2人の農家仲間を失った。怒りを押し殺した声で、静かにこう言った。
「彼らは、国に殺されたようなものだ」
1月に亡くなった男性は30代で、ある日行方不明になり、遺体となって発見された。男性は、民主党政権時の2010年に戸別所得補償制度(現・経営所得安定対策)が導入されたことを機にサラリーマンを辞め、就農を決意した若き農家だった。規模拡大による経営効率化を目指し、主食用のコメを中心に同市で最大の28ヘクタールにまで農地を広げた。
それが12年、状況が一変する。戸別所得補償制度の廃止を公約に掲げた自民党が政権に返り咲いたからだ。今年度からは10アールあたり1万5千円あった補助金が半減となり、18年度には廃止される。大幅な収入減が予想された。制度を計算に入れて経営計画を立てていたこの男性は、周囲に先行きの不安を打ち明けていた。
木村さんは、10年にTPPに関する説明会で彼が話した内容が忘れられない。
「TPPで安いコメが日本に入ってくると、先進的な経営を目指した自分の夢が壊れると訴えていました。補助金の削減や米価の低下は、大規模な農家ほど影響が大きいのです」
8月に亡くなった男性は60代で、首をつって自殺した。同市で15ヘクタールの農地を経営し、農業用のパイプハウスも所有していた。それが2月の豪雪で大きな被害を受けた。
「雪害の補償制度はあったけど、リース契約のハウスには使えないなど、制約があった。それが10月になってようやく認められることになった。もっと早く国や自治体から方針が出ていれば、死なずにすんだかもしれない」(木村さん)
豪雪被害は、いまだこの地域に暗い影を投げかけている。鉢花のハウス栽培をしている塚越正敏さん(64)も、5千平方メートル所有していたハウスのうち、4割が倒壊した。崩れ落ちたハウスは、いまだ片付けが終わっていない。被害総額は1千万円以上にのぼる。
「再建したくても資材が6割も高騰していてできないんだ。それであきらめる人が相次いでいる。このあたりでも600坪(約2千平方メートル)以上のハウスを持っていた約20軒のうち、5軒が廃業した」(塚越さん)
亡くなった2人は遺書を残さなかった。
1963年に1341万トンあったコメの需要量は、食の多様化や少子高齢化の影響で12年に779万トンにまで減少した。稲作農家の数も65年の488万戸から10年には115万戸になった。さらに、円安や原油高による資材や農薬・肥料の高騰、消費増税、コメ農家を取り巻く環境は厳しさを増すばかりだ。
木村さん自身も、13ヘクタールの水田を耕作する大規模農家だ。しかし今年は米価暴落の影響もあり、売り上げは2割以上落ち込み、赤字の見込みだ。自身の労賃はゼロ。それでも農業を続ける。
「私が預かる耕地は約100筆あります。もし農業をやめて耕作放棄地になったら、地域に住む人たちが困ってしまう」(木村さん)
これが農村の現実だ。
※週刊朝日 2014年11月7日号より抜粋