明日が舞台の初日なのに、台詞も覚えられていない。何の準備もできていない。演出の蜷川幸雄さんは、あたり構わず怒鳴り散らしている。俳優の松重豊さんは、隣にいる勝村政信さんに、絶望的な気分で「どうしよう?」と話しかける――。そんな夢を、今でも月に一回は見るという。

 芝居に興味を持ったきっかけは、石井聰亙(現・石井岳龍)さんの映画だった。既成概念を壊して、新しい価値観を作っていこうとするパンキッシュなエネルギーにやられた。福岡から上京して、地方では観ることのできなかった舞台の面白さに目覚め、大学の先輩である唐十郎さんの状況劇場、寺山修司さんの天井桟敷、つかこうへいさんの舞台などを貪るように観た。芝居に取り憑かれた松重さんは、卒業後、蜷川さんのもとで、“芝居のデッサン”を学ぶ。

「当時はアングラかぶれしていたんですけど(苦笑)、蜷川さんからは、シェイクスピアやギリシャ悲劇、日本の古典もちゃんとやらないとダメだと教わりました。ピカソは最初からピカソだったわけじゃない。いろんなデッサンを積んだから、あそこまで描けるようになったんだ、と。あとは、“映像の世界には技術的にうまい俳優なんてゴロゴロいるんだから、演劇から出た役者は、技術じゃなく、肉体が放つエネルギーで感動させられなきゃダメだ”というようなことも、叩き込まれました」

 20代なら誰でも、「自分はこのままでいいんだろうか」と迷うときがある。松重さんも一度だけ、人生のワープボタンを押したことがあった。「蜷川スタジオ」を辞め、1年間、建築現場で正社員として働いた。

「自分がやっていることと真逆の方向に走りたくなる衝動を止められなかった。芝居の世界に戻ると決めたときは、何があっても逃げ出さないと、腹をくくりましたけど」

 
「孤独のグルメ」のように主演ドラマがシリーズ化された今も、“ラクな仕事は絶対にない”“今、自分はうまくいっている、と思える瞬間など一生訪れない”。この二つのことは、肝に銘じている。

「今51歳ですけど、60、70過ぎても、“自分はまだまだだ”っていう先輩方しか見てきていないので……。いくつになっても、“こうやったら成立する”なんて計算のできない作品に出る勇気は、なくしちゃいけないんだろうなと思います」

 松重さんが出演する舞台「小指の思い出」は、野田秀樹さんが27歳のときに書いた戯曲。今回は、それを29歳になった藤田貴大さんが演出する。

「藤田くんが求めるものに応えられるよう動かなきゃいけないのは恐怖でしかないんですけど(苦笑)、若い人と一緒にモノを作れるのは、僕らにとっての一番のご褒美。30年前の戯曲が、若い人たちに面白いと思ってもらえるかどうか、試したいです。僕らの仕事って、そうやってループしていくものだと思うから」

週刊朝日  2014年9月19日号