大学の演劇学科演技コースの同級生の中で、今も俳優を生業にしているのは、彼だけなのだという。
「たまたま運良く続けられてきただけで、僕に特別の情熱や才能があったわけではないと思います」
と田中哲司本人は言うが、シリアスからコメディー、文芸からエンターテインメントまで、どんなテイストの作品にも自然になじむ、希有な俳優である。2011年から毎年、演出家の長塚圭史さんが主宰する演劇プロジェクト「葛河思潮社(くずかわしちょうしゃ)」の作品に出演しており、今年はノーベル賞作家ハロルド・ピンターの「背信」に挑むことになった。時系列を逆行させながら描く、男女3人の物語だ。
「芝居をするとき、自分の意見はあまり持たないほうですね。監督や演出家の方にすべてを委ねて、その要求にまずはどれだけ応えられるかに、楽しみを見いだすタイプです。たとえば、圭史くんに、『こう動いてみて』って言われたときに、自分の中にある感情ではそこには行けないのですが、行ってみると、何か楽しい。“こんなふうに動くこともありだな”なんて思えるんです」
仕事に恵まれなかった20代の頃は、「もっと映りたい」「もっと目立ちたい」という欲もあった。それが30代になって、自分の出演した作品を自分で見る機会が増えるようになると、その“ガツガツした感じ”に嫌気がさすようになる。
「当時は、自分の芝居が、いちいち卑しく見えてしまって、激しく後悔したんです。こんなにイヤな思いをするぐらいなら、これからは淡泊すぎるぐらいの演技をして、あまり画面に映らなくて残念に思うほうが、心の傷は小さくてすむ(苦笑)。今でも、若い頃に自分が出た作品は、絶対見ないようにしています」
役者の仕事が不安定であることを自覚しているが故に、自分で自分を守らなければ、と思うのだそう。
「くよくよ悩みやすいので、自分が傷つかないためにはどうすればいいかを考えて、芝居のときはいい加減な状態にしておいたほうがいいのかな、と思ったりします。もともと、そんなに感情で行動するほうじゃないんですよ。感情は、結果としてついてくるものであって、芝居のときに“感情をつくる”みたいな行為は、実はそんなに重要じゃないような気がするんです。芝居で大事にしていることを挙げるなら、台詞を覚えていくことでしょうか。本当はトップで覚え切りたいんですけど、いつも最後になってしまう。今回の『背信』でもそうでした(苦笑)」
口調も物腰も柔らかくて控えめだが、嘘をつくのが役者の商売。どこまでが本音かはわからない。そもそも本音など持たない人なのかもしれない。そんな得体の知れないところが、役者らしい存在感に繋(つな)がっている。「几帳面なところもあるので、会社勤めも向いていなくはなかったと思います」と彼は言うけれど。
※週刊朝日 2014年9月12日号