“伝説のディーラー”と呼ばれた藤巻健史氏は、サッカーワールドカップを通してある疑問を感じたととこう語る。
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先日のテニスで、ダブルスのペアを決めてコートに入ろうとしたら、
「フジマキさんはあっちサイド。こちらのサイドにはすでに2人いるでしょう。向こうは1人。それを見れば、自分の入るサイドがわかるでしょうが。ダブルスは2人ずつでやるの。いつもの癖で無意識に多数派にノコノコとついていっちゃうんだから」
日本維新の会の分党決定時に、私が多数派の橋下グループ入りを決めた後のテニス仲間であるヒラタさんのお言葉だ(そういうわけではないのだけれど)。
ゲームのポイントがわからなくなり、「15-30だ」「いや、30-30だ」ともめていたら、今度は外野のマキさんから、「多数決で決めればいいんだよ! 多数決!」と野次が飛んできた。ん? 多数決で決まるのは政治の世界だけのはずだ。
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サッカーワールドカップの開幕前に、ザック・ジャパンの戦績を評論家の多数決で占ったならば、「いとも簡単に1次リーグを突破し、優勝しそうな勢い」だった。にもかかわらず、1次リーグ敗退である。1次リーグ敗退を明白に予想していた評論家を私は寡聞にして知らない。しかし、私の周りでは最低3割の人が1次リーグ敗退を予想していた。
しかし、そんなことを言えば、国賊扱いされそうな雰囲気だった。
しばしば「言論の自由」がマスコミを賑わして裁判も起きるが、「本当の意味で日本に言論の自由はあるのだろうか?」、これが日本中が沸いたサッカーW杯の私の感想だ。
私もマーケットで同じような経験をした。20年前にマイナス金利論を主張したとき、「フジマキはおかしくなった」と言われた。インフレ待望論を述べたときや、財政状況に警鐘を鳴らしたときなどは国賊扱いだった。
「円安が必要だ」と主張し始めた当初は「自国通貨が安くなるのを望むとは何事か?」と非難ごうごうだったし、「地価や株価を上昇させ資産効果で景気を良くしよう」と主張したら、「それは金持ち優遇政策で庶民の敵だ」と非難された。日本人は少数意見に厳しい。
しかし、経済政策の妥当性や、(一時的にはともかく)マーケットの最終的な動きは多数決では決まらない。ファンダメンタルズ(経済の基礎的要因)で決まる。「多数派の意見だから正しい」わけではない。サッカーの勝敗の予想と同じだ。
「勝負をしている人の予想を聞いてはいけない。ポジショントーク(自分に都合のいい意見)だからだ」ともよく聞く。しかし私は逆だと思っている。勝負をしている人の予想こそ尊重すべきだ。今回のサッカー予想でも私は評論家の予想を真剣には聞かなかった。国賊扱いを避けるために本音をしゃべっていないと思ったからだ。
ただし、もし彼がイギリスにある合法の賭けで「日本が優勝する」に全財産をつぎ込んでいたのなら、まじめに聞いたと思うのだ。私にとってはいろいろ考えさせられるW杯だった。
※週刊朝日 2014年8月1日号