熊本県在住の永井よし子さん(仮名・78歳)は2013年3月、もの忘れが増えたので、認知症を疑った家族にすすめられて近くの神経内科を受診した。CT(コンピューター断層撮影)検査を受けたところ、脳に腫瘍のようなものが見つかり、熊本大学病院を紹介された。CTや造影剤を使ったMRI(磁気共鳴断層撮影)検査の結果、脳腫瘍(神経膠腫・こうしゅ)の、グレード4と診断された。
神経膠腫は脳にできる腫瘍の一種。グリオーマとも呼ばれ、いろいろなタイプがある。正常な脳細胞にしみ込むように広がっていく「浸潤(しんじゅん)性」をもち、悪性度によってグレード1から4に分けられる。永井さんが診断されたグレード4はもっとも悪性度が高く、急速に進行し、再発することも多い。
神経膠腫は外科手術+抗がん剤+放射線が標準治療となり、手術でどこまで腫瘍を取り除けるかが、その後の生存率や再発率を左右する。だが、脳のさまざまな機能をできるだけ損なうことなく腫瘍を摘出しなければならない。神経膠腫は浸潤性があるため、手術で腫瘍をすべて摘出することは細胞レベルでは不可能だ。
治療成績を向上させるために、手術では「最大限の摘出、最小限の手術合併症」を目標とし、さまざまな技術が導入されてきている。
その一つである「術中モニタリング」は、腫瘍が運動にかかわる神経がある運動野や、視神経の近くにある場合などに用いられる。術中に脳に電極を置いて弱い電流を流し、神経が途中で切断されていないかを確かめる技術だ。
また、腫瘍が言葉にかかわる言語野に近い場合に実施される「覚醒下手術」という技術もある。術中に麻酔から一度覚めてもらい、医師と言葉のやり取りなどをして神経が損なわれていないか確認する方法だ。
腫瘍や神経などの位置を確認して手術の精度を上げるために、術前のCTやMRIをもとにした「ニューロナビゲーション」というナビゲーションシステムも使われる。
さらに、腫瘍細胞を光らせて、正確に診断できる薬も13年3月に販売が承認された。アラベルという「術中蛍光診断薬」だ。手術当日、麻酔をかける約1時間前に飲み、手術中に患部に特殊な光を当てると、神経膠腫の細胞だけが赤く光る。
「腫瘍の中心部は判別しやすいのですが、端のほうは正常細胞との境目があいまいです。術中蛍光診断薬を使うことで、より正確に正常細胞と見分けることができ、区別しにくい腫瘍細胞も取れるようになりました」
と、同院脳神経外科講師の中村英夫医師は話す。
永井さんの腫瘍は右の前頭葉の運動野近くにあった。中村医師のチームはモニタリングで運動神経が損なわれていないかを確認しながら、アラベルを用いて慎重に腫瘍細胞を取り除いていった。モニタリングの結果、神経を損なう危険性のある部分の腫瘍は摘出せずに終了したという。
手術後、テモダールという抗がん剤を42日間服用し、取り残した部分が増殖しないよう維持療法を行った。永井さんは術後1週間で歩いてリハビリ室に行くほどに回復し、約1カ月で退院できたという。脳のむくみ(浮腫)がひいて、もの忘れもなくなった。
グレード4の治療は放射線治療を併用することが多いが、中村医師は永井さんの年齢を考慮して、放射線治療を行わず、テモダールによる維持療法と定期検診でフォローして再発を防ぐことを家族に提案した。
「放射線治療は術後2~4週間から開始するのですが、約1カ月半かかるため入院期間が延びます。その間にADL(日常生活動作)の低下や認知症になる危険性があり、退院後のQOL(生活の質)が低下すると考えたのです」(中村医師)
※週刊朝日 2014年7月18日号より抜粋