どれだけ夜遅くまで働いても、残業代はゼロ。そんな制度を安倍晋三政権が検討している。7年前に激しい非難を浴びて撤回に追い込まれたものだ。ベースアップ(ベア=月給を一律に値上げすること)の「見返り」を求める財界「強硬派」の思惑もあるという。
前回は第1次政権(2006年9月~07年9月)で、米国の「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」にならった制度を導入しようとした。ホワイトカラーのうち企画や研究といった業務分野に限って、一定以上の年収の人を対象に労働時間の規制を外すもの。時間の規制がなくなるのだから、残業代をはじめ時間外手当という概念もなくなる。
年収について、経団連は「400万円以上」と提案した。だが批判が高まるにつれて政権の腰が引けていき、「700万~1千万円以上」「900万円以上」……などと右往左往したあげく、07年1月に法案の国会提出を断念した。
「今回は業務分野に関係なく年収だけで対象者を決める。WEよりもたちが悪い」(日本労働弁護団の棗一郎弁護士)
今回はホワイトカラーだけではなく、たとえば工場などで働く人も含まれかねないという。
もともと残業代を支払っている現状でも、残業は増えやすい傾向にある。昨年までの20年間でみると、前年よりも時間外労働の時間が減ったのはリーマンショックが直撃した09年を含めて6回しかない。昨年は、20年前と比ベて2割ほど増えた。企業の規模が大きくなるほど長いのも特徴だ。従業員301人以上の企業では、最長で年426時間に達する。時間外労働をさせる場合に必要な労使協定を結んでも、上限は原則として年360時間だ。これすらも超える。
それが「残業代ゼロ」になったら、働く人はどれだけ被害を受けるのか。明治学院大学の笹島芳雄名誉教授は、「やや極端な前提ですが」としつつ、こんな試算をする。年収1千万円の案では、失われる残業代が対象者1人あたりで年133万3200円にのぼるという。経団連によれば、今年の春闘の賃上げ額は定期昇給を含めても平均7697円だ。「残業代ゼロ」になれば、ベアは吹き飛ぶ。
そのうえ、「目標を達成せよ」とのかけ声のもとで、果てしない労働を強いられることにもなりかねないのだ。健康は日に日にむしばまれていくだろう。
それにしても、一度つぶれた「残業代ゼロ」がまた浮上したのはなぜなのか。
安倍首相が「世界でいちばん企業が活躍しやすい国をめざす」などと発言していることから、「政権は、企業にとって使い勝手のいい労働法制に変えたいと考えているのでしょう」 (専門家)とみる向きもある。
そういえば、成長戦略のひとつの柱である国家戦略特区に、企業が従業員を解雇しやすくする「クビ切り特区」をつくる構想もあった。これも激しい非難を浴び、昨年10月に事実上の見送りとなった。いまも労働者派遣法の改正案が国会に提出されている。無期限で派遣労働者に任せられる業務が広がることから、企業にとっては人件費の削減につながる。今後についても、安倍首相は法人税率の引き下げに意欲をみせる。
企業を優遇する政策に軸足を置いている印象だ。財界の「強硬派」が、こうした志向の政権に期待したとみられている。
※週刊朝日 2014年6月6日号より抜粋