生物学者で早稲田大学教授の池田清彦氏は、先月行われたシンポジウムで旧来の友人、岸由二氏のことをあらためて「賢いやつだ」と感じたという。
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一般財団法人日本蘇生塾の4回目のシンポジウムがさる2月23日に東京で開催された。「日本蘇生塾」という名称だけを聞くと国粋主義者の徒党みたいだけれど、さにあらず。会長は養老孟司、理事長は計見一雄、私と神山昭男が理事をしている不思議な団体である。日本の自殺率が他の西欧の先進国に比べて余りにも高いので、何とかならないのかという問題意識から立ち上げた組織で、危機に瀕している現代社会のシステムを蘇生させる方途を考えようとの志だけは壮大なジジイ連中の集まりである。
今回のテーマは「人が生活するのに相応しい環境の蘇生を考える」。演者は隈研吾(建築家)、深澤直人(デザイナー)、渡辺綱男(元環境省自然環境局長)、それに岸由二(慶応義塾大学名誉教授)の4人であった。私が一番感銘を受けたのは岸由二の話である。岸は私と同年の都立大学北沢右三研究室の同窓で、北沢門下きっての秀才である。若くして都市近郊の環境再生の実践活動に飛び込み、ほとんど独力で、三浦半島先端部にある小網代という、小さなしかし極めて自然度の高い流域生態系を開発から守った人だ。話を聞いて改めて賢い奴だとつくづく思った。実践家としてだけでなく、理論家としてもその能力は突出している。
実践を通して岸が辿りついた、都市環境保全の理路は流域思考という。生態学の教科書に頻紫に出てくるタームは生態系である。昔の自然保護は珍しい種を保護しようというものだった。しかし、種は生態系の中で他種とのつながりとして生きているので、種だけを保護することはできない。重要なのは生態系の保全である。この話は今や人口に膾炙している。しかし、たとえば里山を保全するとして、里山という生態系が孤立してあるわけではない。里山は周囲の生態系と連続している。どこを境界とすれば、生態学的見地からみて同一の機能単位とみなせる地域を措定できるか。
地図の上には境界線が沢山引かれているが、それは人間が勝手に決めた行政区画だ。里山の保全にしたって行政単位ごとの保全になりがちだ。しかしそれは非効率だ。自然の摂理に沿った境界に従って保全活動をすれば、はるかに効果的だ。それは流域だ、と岸は言う。上流域で大雨が降れば下流域に影響が及ぶことから分かるように、流域こそは自然の機能単位なのだ。流域の中には森林、田畑、都市などの様々な生態系がある。人々が快適に暮らすにはそれらをどうマネジメントすればよいか。流域思考はいずれ保全生態学に革命をもたらすだろう。
※週刊朝日 2014年3月28日号