発明家としてはもちろん、選挙に出馬し続けていることでも有名なドクター・中松氏。作家の林真理子氏との対談で、立候補し続ける理由を明かした。
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林:先生、ご無沙汰しております。あら、暖かそうなコートですね。
中松:これ、僕が発明したフライングコートといいまして、350グラムしかない世界でいちばん軽いオーバーコートです。ギネス世界記録に申請中です。
林:厳寒の中で選挙活動が行われた今回の都知事選でもこのコートが大活躍だったわけですね。それにしても選挙結果は残念でしたね。
中松:実は私は政治が嫌いだし、バッジなんてまったく魅力を感じないんです。
林:えっ、それなのになぜいつも立候補されるんですか。
中松:理由がありまして、昭和20年の春、藤村義朗中佐という海軍武官がスイスにいて、そこにアメリカ大統領の使者が来まして、和睦しようじゃないかという話になったんです。満州も残す、朝鮮半島も残すという非常にいい条件を提示してきたんですが、結局それはダメになって、その藤村義朗さんが終戦で日本に帰ってきたんです。
林:はい。
中松:偶然ですが、私の自宅の2、3軒隣が藤村さんの自宅でして、私を海軍の後輩として弟のように可愛がってくださいました。彼は残念ながらがんで亡くなるんですが、その病床で私に「君が総理になってこの日本を立て直してほしい」と言って亡くなったんです。その遺言で私は選挙に出ているんです。
林:そういうことだったんですか。
※週刊朝日 2014年3月7日号