小保方晴子(おぼかたはるこ)氏が開発した万能細胞「STAP細胞」の論文が酷評され、掲載を却下されていたことについて、早稲田大学国際教養学部教授で生物学者の池田清彦氏は理由をこう説明する。

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 小保方さんが最初にSTAP細胞の論文を英科学誌「ネイチャー」に投稿した際に、レフリーから「過去何百年の細胞生物学の歴史を愚弄するものだ」と評されて、論文がリジェクトされた話は巷間に伝わっていて、知っている人も多いだろうが、なぜ、細胞生物学の歴史を愚弄するとまで酷評されたのかは、事情を知らない人には理解できないだろう。

 哺乳類の分化した細胞(及びその中の核)は極めて安定していて、他の種類の細胞に変化しないというのが、1996年までの細胞生物学の常識であった。これを覆したのはクローン羊のドリーで、分化した細胞の核を、核を除去した未受精卵に導入することで、ここから完全な個体を作ることに成功したのだ。分化した細胞の核は未受精卵の中で全能性を発揮できることがわかり、全世界の生物学者に衝撃を与えたのだ。でもこの衝撃は想定の範囲内であった。分化した細胞の核は、未受精卵という環境が与えられてはじめて全能性を発揮できるのは、それほど奇想天外なことではなかったのだ。

 次に現れたのはiPS細胞。これはES細胞で発現している遺伝子をいくつか導入することで、分化した細胞の核の遺伝子たちの働き方をES 細胞に近づけることができるという話で、多くの生物学者はそういうこともできるだろうと納得したのだ。

 STAP細胞は全く違う。これは分化した細胞の細胞内部や核に人為的な操作を全く加えないで、外部からの刺激だけで万能細胞に変化させてしまうという話だからだ。ゲーテが愛したハカラメという植物がある。葉を土の上に置いておくと、そこから根が出て、芽が出て、一個の植物が育つ。葉という分化した細胞が万能細胞として働くのだ。挿し木などでも知られるように、植物ではよく見られる現象だ。あるいは昭和天皇が研究したヒドラは出芽で繁殖することが知られる。体の一部から芽が出て、子の身体ができてくるのだ。ハカラメもヒドラも分化した細胞が、そのまま万能細胞に変化することが可能なのだ。STAP細胞は哺乳類でも同様なことが起きることを実証したのである。

 原理的にはヒトの腕から芽が出て、子供に育つことも不可能ではないという話なのだから、最初にこの話を聞いた学者が、細胞生物学の歴史を愚弄するのか、と怒ったのも無理はないのだ。非常識極まる実験だったのだ。でも自然科学のいい所は、どんなに非常識でも、実証されれば受け容れざるを得ないことだ。

週刊朝日  2014年3月7日号