ついに日本男子フィギュア界から五輪の金メダリストが生まれた。羽生結弦(はにゅうゆづる)選手(19)=ANA=だ。
仙台市出身の羽生が氷に親しみ始めたのは、4歳のとき。同市内のスケート場(現アイスリンク仙台)で習っていた4歳上の姉に、くっついていったのがきっかけだった。仙台市内に住む親族はこう振り返る。
「お姉ちゃんは学校が忙しくなってやめたけど、結弦はのめりこんだんです」
スケートをやりつつ、野球にも夢中だった。幼少期に指導した都築章一郎さん(76)=現「神奈川スケートリンク」専属インストラクター=が、こう振り返る。
「5分も滑るとすぐに飽きて、外にボールを投げにいくような子でした(笑)。でも、彼は短い時間でも驚くほどのスピードで技術を吸収して消化する。そういう頭のよさがありました」
最初の大会で演じたのは「ウルトラマン」。羽生自身の希望だったという。
「よっぽどウルトラマンが好きだったんでしょう(笑)。その後のプログラムも私が作りましたけど、彼は当時から音楽の性質を理解して、こちらが提示した以上に高レベルの演技を作り上げていました」
羽生自身が「同世代のライバルと刺激し合えて(中略)僕はここまでこられた」(著書『蒼い炎』から)と表現しているように、切磋琢磨(せっさたくま)してきた選手たちも、大きな存在だった。羽生のジュニア時代のライバルが、田中刑事(19)=倉敷芸術科学大学=だ。
「毎年、長野県で開かれる合宿で一緒になりました。僕と羽生君と日野龍樹君(19)=中京大学=が仲よし3人組でした。彼は昔から人一倍の負けず嫌いで、高い意識を持ってましたね。世界の頂点に立った彼を追いかけていきたいです」
東北高校(宮城)時代の様子を、フィギュアスケート部の2年後輩である渡邉直也さん(17)が明かす。
「ユヅくんはおしゃべり好きで、リンクの外だとしょっちゅう、ちょっかいを出してくる。機械いじりも好きで、プレステ2を分解して遊んだりしてたそうです。ユヅくんが5本指靴下をはいてすごいジャンプを跳んでいたから真似したけど、僕には効果が出なかった(笑)」
※週刊朝日 2014年2月28日号