週刊朝日11月29日号に掲載された対談「『だからテレビはダメなんだ』 さだまさし×みのもんた」の完全版を収録しました。
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みの いや僕ほんとね、その直後ですよ。「深夜放送やれ」って。ニュース読みながら、「御法川法男(みのさんの本名)でやれ」。で深夜放送スタートして、それで、「お前組合に入ってないから、夜中の夜勤がやれる」ってすごい時代ですよ。
さだ え、組合入ってないから、やらされたんですか?
みの あの当時の民放労連ってすーごい厳しかったの。
さだ いいねえ。
みの 過重労働なんて大変だったから、民放労連って。
さだ で、「みのもんた」っていうのはいつから使ったんですか?
みの えーとね、「セイ!ヤング」を初めて、(当時の番組プロデューサーの)コマイさんかな。
さだ コマイさん、コマイさん。はい。
みの 「以上担当は御法川法男でした」と。「それじゃあ伝わらねーなー」って言うわけ。
さだ あ、コマイさんが言うわけ?
みの コマイさんが。
さだ 「合わねーよ」って?
みの うん、「以上担当は御法川法男でした。合わねーよなあ」って言うわけ。
さだ はい。
みの (同じ番組を担当していた)野末陳平さんが、「俺は早稲田の、中国文学持ってるんだ」とか言いながら、その場で「これがいいなあ」。ばん、と置いて。「みのもんた」と。ばりっと。「お前申(さる)年だろ」と。「はい」「わかるんだよ」って言われてね、でコマイさんが、深夜放送だけ「みのもんた」でやるかって言われて。
さだ ニュースは「御法川法男」で読んで、芸名。
みの 音楽番組は、そう。
さだ 音楽番組は?
みの みのもんた。
さだ みのもんた。
みの 「新宿音楽祭」もみのもんた、「歌謡大賞」もみのもんた、そういう時代でしたね。だから「みのもんた」でレコード会社の方がよく来てくれましたよ。
さだ なるほど。
みの はい。
さだ あの時代はもう。
みの 「妹」じゃない、なんだったけかな。
さだ はい? 「かぐや姫」の? かぐや姫の「妹」?
みの 「妹」ってあるじゃない。あの中でね、なんだっけな、なんかあったんだな。それでね、それもみのもんたに変えたらどうかとかシャレでやったりなんかしてね、ひんしゅく買ったことあったんだよね。
さだ はははは、そうですか。
みの そんなことばっかしてやってた。でも力あったもん。
さだ 相当接待されたでしょ。
みの されましたね。
さだ ほうらあ。
みの だって。
さだ その辺の話も聞きたいねえ。
みの 深夜放送さ、あの当時、あ、(連載小説に)出てくんのそれ?
さだ いやいや、それは出てこないですよ、現代ですから。話は現代ですから、僕の小説は。
みの 今はないね、あの当時はもう選曲権っていうのがすごかった。
さだ センキョクケンってなんですか?
みの 選曲する。
さだ 何を選曲するか?
みの レコード、曲を。
さだ うんうん。
みの それはくれないのよ、ペーペーには。
さだ やっぱりD(ディレクター)がやるんだ。
みの それとオオコシさんとかね、ホリとかホッタとかオクセとかね。
さだ ああホッタさんね。
みの 今偉くなっちゃったけど、あれ、それこそモギさんとか。
さだ モギさんね。
みの あの辺はもう選曲権持ってるの?
さだ モギさんはね。
みの 選曲権って何が選曲権、ノートがあるんですよ。今だから言えるけど。ぼんと置くの、そしたらレコード会社の営業担当、「キングレコード」担当なになに、曲はなんとかって順番に書いていくの。「書いた?」「うん」。ばんっ、見ないでこう閉めるの。「あーおなかすいたあ」とか言って。これね、一番最初にひっぱたかれもん、「お前は10年早い」って。
さだ 「あーおなかすいたなあ」って言うのが?
みの そうすると、必ずね、10分後ぐらいにね、電話がかかってくる。
さだ はい。
みの 「えっ、おおいいよいいよ」なんて電話に出て、「なんかレコード会社がね、飯食いたいらしいんだよ」。そういう時代でした。
さだ ずるいなあもう。
みの いや僕がやったんじゃなくて、そういうのを見てたから。
さだ ああそう。
みの だから「セイ!ヤング」スタートした時には、俺もノート置いたもんね。
さだ やっぱり!
みの だって、あれねどこだっけな、A社だっけかな、世界的に有名なバンドを持ってたの。
さだ ああそうです。
みの あの当時さ、あのバンドのアルバム、貴重品で。
さだ 貴重品ですよ。
みの ね。
さだ 貴重品です。
みの A社が来るじゃない、そうすると、「ええ、これが、あのバンドのなんだかんだ」と置いていくわけ。
さだ じゃあノベルティもらい放題。ひっどい時代だなぁ。
みの だから、「こんなに。うんわかった、ありがとう」ってもらうわけですよ。そのうちの何枚か持って、2時に終わると、ばーっと飲み行っちゃうわけ。
さだ 夜中に?
みの 夜中に。
さだ 夜中に開いてました?
みの あの時、六本木から原宿あたりにはもう。深夜の銀座よりもね。
さだ 明け方まで開いてるんだ。
みの うん、明け方までだから。で、行くわけ。
さだ で、いいカッコするんだ。
みの わざとさ、例のアルバムを棚っていうかテーブルに置いて、「あー、今日かけなかったな」。女の子たちは「あっ、すごーい」
さだ 「あっ、すごーい。あのアルバムだあ」とか言われながら。
みの 「ええーっ」とか言って。
さだ 腹立つわあ。俺たちはね、かけてもらうのにどんだけ苦労したと思うんですか。
みの で、その1枚ね、「あげるよ」なんつって、そしたらサントリーの「オールド」のボトルが1本きちゃったりなんかしたんだよ。どっぷり浸かってしまいました。
さだ そうだろうなあ、あの時代はだけど、とにかく深夜放送からしかヒット曲は出てこなかった。
みの でしたね。
さだ 出てきたヒット曲を、集めてかすめ取ってたのがテレビですから。
みの うーん、そうかなあ。
さだ 並べてね。ベストテン番組が。
みの あのあたりからですか、テレビが。
さだ あの直後ですね。
みの 生でやってましたよね、歌の番組なんて。
さだ 生です、全部生です。
みの ねえ。
さだ 今もう生でやれる放送局ないですね、ほとんど。あのフジテレビだけじゃないですか、生で恐ろしいことできるの。テレ朝もやってますけどね。
みの あの当時はバンドで入れてましたよね。
さだ そうですよ。
みの オーケストラ。
みの そういえば、深夜で番組をやってたの、NHKだよね。
さだ そうですよ、今もやってますよ、僕。
みの やってるよね。
さだ やってます、やってます。
みの あれ見るんだよね、どういうわけか。
さだ あれね、だからあの当時のラジオ番組やりたくて。いま俺テレビで、深夜放送をやっています。
みの 一人で語ってる。
さだ そうそう語ってる語ってる。ラジオのはやりでね。
みの あれね、と思って。
さだ 懐かしいでしょ。
みの まだ続いてるの?
さだ やってますよ僕、毎月1回ぐらい。
みの あれいいよね。
さだ もう台風が来ますけど、10月26日は高松でやりますよ。行けるかどうかわかりませんけど。
みの あれいいですよね。ラジオですよね。
さだ あれ全くラジオですよ。
みの でもね、見るっていうか聴いちゃうね。
さだ だから。
みの まあ僕はラジオの人間だからかもしれないですけど、すごく、素晴らしいですよ。
さだ トラックの運転手さんに人気あるんですよ。運転しながら、テレビは見られないけど、テレビを音声だけでも聴いとけるって。
みの うんわかる、そうそう。
さだ ということはね…。
みの なんでこの時間って思ったもん。
さだ だからね、あの当時のみのさんたちがやってた、それこそ「オールナイトニッポン」の斉藤安弘さんだとか、今仁哲夫だとか、それから土居まさるさんとか落合恵子さんとか、みのさんなんかがやってた、かぜ耕士さんとかやってたじゃないですか。
みの これ書かないでね。
さだ うん書かない書かない。わかった書かない
みの あのね、ある歌手がね、ヒット曲がこうずーっと続かなくて、どうのこうのどうしたらいいんだろうってね、ある曲を持ってきて、「これで勝負したいんだ」ってきたわけ。「へえ、そうですか。じゃあ食事会やろうか」なんつってね。レコード会社の担当は大学の先輩で、「俺が今度この曲担当するんだけどさ、みの、かける?」「かけますよ、そりゃ」「飲め」「飲みますよ」「食え」「食いますよ」「3回かけろ」と。
さだ ははははは、そういうことか。
みの 「はいかけますよ」でやるわけ。そしたらほんとにね、その曲がチャートを上り始めたの。
さだ うん。
みの そしたらね、ホリさんっていう大プロデューサーが、「みのかけてるよな、同じ時間にニッポン放送の今仁哲夫もかけてんだよ」って。
さだ はははははは。
みの 同じ時間に! 両方堂々とかけちゃう。
さだ そうそう。
みの だっから、ラジオのヒット曲っていうのはこうやっても作れるんだなっていうのが経験できましたよ。
さだ テレビは、今もう音楽番組はないですから、テレビからヒット曲が出ないんです。それもヒットしてる人たちの顔見せ番組になっちゃってますから、ほとんどね。だから、これからの人たち、だから今ミュージシャンが頑張るしかないのはライブなんですよ。路上ライブって、やたらいっぱいいるじゃないすか。あの中から今度はヒット曲が出てくるんでしょうね。つまりね、僕は逆に言うと、今こそラジオの時代だと思っているんですよ。あの路上ライブをね、引っ張り上げるだけで、全然世の中が変わってくるのに。
みの 確かにね。
さだ その提案なんですよ。この小説。
みの あっそうなの。
さだ うん。だから、ラジオってもう死んだと思ってない?って。
みの 僕はさっきいただいた(連載小説)のを1章か2章しか読んでないけど、あの当時のラジオ局って、あれぐらい影響力があった。
さだ ありましたよ。でもね、今でもあるんですよ。ところが、フォーカスがあってないんですよ。テレビに引っ張られちゃってる。だって、あの当時ラジオの方がテレビより5年進んでましたから、企画は。
みの だからラジオにいながら、「11PM」に出てくれと。オールナイトにでてくれとか、随分出張で出ましたもんね。
さだ そうでしょ?
みの うん。
さだ だから、あの小説の中に出てくる、寺ちゃんっていうペーペーのアナウンサー、まあ本物は、今はペーペーじゃない、偉くなっちゃってますけど。
みの 偉くなったの? あれ。
さだ 偉くなっちゃってますよ、寺ちゃん。でも寺ちゃんが、やがてそういうところに引っ張り出されるまで書こうと思ってる。あの番組にあたってね。
みの 僕とか落合恵子さんなんていうのは、ほんとね、引っ張りだこだった。
さだ そうですよ。
みの あの当時、CXとかTBSにも出ても、「ああ、ほんとのラジオのスターなんだなあ」なんて感じでこう扱われてね、ほんと良かった。今逆だもんね。
さだ でね、テレビのそういうキャスターとかアナウンサーで人気になった人がラジオやってもつまんないんですよ。ラジオって、しゃべりが自己完結してない人にはできないんですよね。だからラジオでいける人って大体なんとかできるんですよね。
みの そうね。絵がないから、その絵を自分でしゃべり立ててつくんなきゃいけないから、結構苦労しますね。
さだ ですよね、あの頃ハガキ読みながら、みのさんとか話をがくがく広げていくじゃないですか。一つのハガキがヒントで、話を広げてくっていう世界観が、よかったんですよ。
みの 楽しかった。もう公園ってきたらもうベンチ、ベンチときたらアベック、アベックときたらもう……話がぐんぐん広がっていく。
さだ で、のぞきまで入るじゃないですか。
みの もうちょっとでコマーシャルだよね。そこで止められるの。怒られて怒られて。
さだ そうそう。
みの あの当時、言っちゃいけない言葉とかなんとかって、あんまり厳しくなかったよね。
さだ 厳しくなかった。
みの ね、許されてた。
さだ だって三木さんに聞きましたけど、オオコシさんの「××××」っていうの、あれ放送に乗ったんですよ。
みの そうそう、怒鳴るからね。
さだ 怒鳴るからね。
みの うん怒鳴るから。
さだ やばいっすよねあの人、俺最初どうしたことかと思いましたもん。
みの あの人、すごい人なんだろ。
さだ すごいですよ、あの人。
みの クラシックのほうでは…。
さだ あの違う、ローマ教皇庁から勲章もらってるんですよあの人、2回も3回も。
みの でかい人。
さだ でかいの。ゴアみたいな人。
みの そうそう。
さだ 「マグマ大使」のゴア。
みの そうそう「マグマ大使」のゴア。
さだ 僕、だから昭和48年から文化放送育ちなんですよ。
みの あっそう。
さだ だって最初っからJCMですから。
みの ああそうだ。
さだ ですから、文化放送育ちなんですよ、僕。
みの でもJCMの文化で最大のスターじゃない。
さだ いやそうでもないんじゃないですか。
みの いやそうですよ。僕はさださんの「精霊流し」のイメージがあるけど、もう一つ、さっき言った梓みちよの「メランコリー」、もう一つは渥美二郎の「夢追い酒」。
さだ ああ「夢追い酒」。
みの あれは二人で3カ月、毎日お昼に出発して、下町回り、それこそみかん箱の上に立って、「これから新人の渥美二郎さんの歌です」って。それでね、キャンペーンして歩いてね、少しずつ少しずつヒットしてきて。
さだ じゃあ、みのさんが作ったんですか、あのヒット曲。
みの あれはもうほんっとにね、ああいう世界がラジオにあったな。やるぞーみたいな。
さだ それと、ディレクターもなんか求心力ありましたよね、あの当時。
みの ありましたね。
さだ タレントに対す。る
みの 率先して飛び込んできましたもんね。
さだ ですよね。何がラジオを凋落に導いたんですか?
みの 今のプロデューサーとかディレクターっていうのは、なんなのかなあ。
さだ なんだろ、あの多分、サラリーマンになっちゃったんですかね。
みの 創意工夫みたいなのが毎日求められてたよ。
さだ そうですよね。
みの ほんとに。だけどでもそれをまた許容してくれる下地もありましたよね。
さだ 自分もヒット曲出すと、面白いですもんね。
みの 面白い。
さだ そうすると、今度はどういうものを提供してやろうかっていう、なんかこうある意味いい素材を見つけたシェフみたいな感じになるんですかね。
みの ああ、そうね、食べ物だね。
さだ うん。
みの つい食べたくなるような。
さだ 「こりゃいいぞ」とか「もうこいつ飽きちゃったな」とかあるでしょ。
みの だってあの当時ほんとにね、「セイ!ヤング」のテーマ曲かけたり、「ダイナミックレーダー」のテーマ曲かけても、なんとなく面白くないなあと。じゃあ自分で歌えばいいじゃないかって、なんでもなしに、「みのみのーもんた、みのもんた」って歌ったら、「もうずっと、お前それ歌え」って言われて。
さだ うーん。
みの なんか困ったことあったら、余計なことしゃべんないで、「みのみのーもんた、みのもんたっぺ」って言ってたの。加藤茶が「加トちゃんぺ」ってやったんだよね。
さだ なるほど、あれが先だった。
みの そう。
さだ あららら。
みの そういうことを毎日のように要求されましたね。
さだ 毎日要求された。
みの うん。「今日は?」「今日は?」って言われて。
さだ そうかそうか、アナウンサーですもんね。
みの そう。
さだ 所属だもんね。
みの 僕はもうアナウンサーになっちゃった。
さだ タレントじゃないから、毎日仕事。
みの 毎日仕事。
さだ ニュースも読むんでしょ。
みの そう、御法川法男。
さだ 今どうなんですかね、局アナで、まあ深夜放送やってる人いないでしょ。いなくはないのかな。
みの いない。
さだ ほぼいないですよね。
みの いない。
さだ あの、NHKの「ラジオ深夜便」を除けば。
みの ああ「ラジオ深夜便」ね。
さだ はい。なんでそうなっちゃったんですかね。
みの なんでかなあ、しゃべるってことを基本にする職業っていうのが稀薄になっちゃったんじゃないかな。
さだ はあ。
みの 要するに映像に任しちゃおうとか。
さだ でも映像って見せたら終わりじゃないですか。
みの うん、ほんとそうよね。ラジオは残ってくれるからね、印象に。どのぐらい残るかなあ。
さだ 僕ね、なんか相当左脳に働きかけるメディアだなと思うんですけどね。
みの だって僕には見えるんですよ、相手が。「おもいッきりテレビ」の「おもいッきり生電話」。「みのさん、どうだろう」って言うから、「この企画やりましょうよ」って答えたら、「だけどテレビだからね」って。「なんですか」って言ったら、「みのさんの顔しか映すものがないから、あと電話の声」だって。でも、これ面白いように当たったね。
さだ あれ当たったじゃないですか。「おもいッきり生電話」。
みの そう。「これ、ラジオの世界でいいじゃないですか」って言ってね。
さだ あれをやるまでは大したことなかったですよね、視聴率。
みの 大したことなかった。
さだ あれからですものね、がーっといったの。
みの でもね、あれも随分失敗した。
さだ 失敗した。
みの しゃべってるときに腹立ってきちゃうの、あれ。
さだ ああ。
みの 「あなたもういくつですか、60、還暦でしょ、いい加減にしたらどうですか」。昼間ですよ、これ。
さだ それがよかったんですよ。
みの 「昼間ですよこれ、エエッ!?」って、ガチャンって切っちゃったの。
さだ いいんだよ、いいんだよ。
みの ひんしゅく買った。「みのもんた何様だと思った」「相手に失礼ではないか」「謝れ、あんな切り方して」。
さだ みのさんの時代のラジオの温度が、テレビの視聴率によって全部吸い取られちゃって、ラジオが単なる生活情報の番組だけになっちゃった時代になっちゃった時代があったんですよ。それで、その割には、若者たちは相変わらず深夜放送を聴き続けているんですよ。
みの ああ、聴いてると思う。
さだ 聴いてる。でも最近みのさん、深夜放送お聴きになってないと思いますけど。
みの うん、聴いてないね。
さだ 最近の深夜放送はねえ、つまらないですよ。
みの ああそうなの。
さだ つまらないです。タレントさん、人気のあるタレントさんが出てきてね、なんかしゃべるんですけどね。はがき読んだりしてしゃべるんです。なんていうのかな、あの時代の熱がない。自分の話ばっかりしかしないっていうこともあるけどもしんないけど、話が広がっていかないですよ。その人が好きな人は、その人の話だけ聞いてりゃいいんだけど。
みの 僕もだから今ラジオやめらんなくてね。ずーっとやっぱ文化放送だけど、土曜日に生で2時間やってる。
さだ ですね。
みの ある人に言われた。「生き生きしてますね」と。「ええなんで、そんなことないよ」「おかしいなあ、テレビの中と違うなあ」って言われた。
さだ いや僕もラジオのほうが生き生きしますね。
みの うん。なんとなくとね、ああそうかな、と思った。次から次、次から次とこう出てくるのよね。言葉よりも絵になって出てくるのね、僕の場合。それを僕は言葉にするだけだから、簡単だよって言うけど、確かに文化放送にも何人もアナウンサーさんいらっしゃるけど、しゃべろうとしないもんね。
さだ うん。でもね、そういう場が与えらんないんですよ今。
みの ああ、ないね。確かにないかもしれない。
さだ いや、やればできる人いっぱいいるんですけどね、なんか社会的になんかラジオの時代じゃない感じ。スポンサーもつきにくい。
みの なんでかな。
さだ なんでですか、それは。
みの もっと躍動感のある放送ってできるんだけどね。
さだ そう思うでしょ? ちょっとみのさん提案して下さいよ。
みの だから昔ね、久米宏がやっていた土曜ワイドだっけな、TBSの。これはね、ほんと面白かったよ。聴いたもん。それ聴きながら自分の放送やったしさ。
さだ へえええ。
みの 「土曜ワイドラジオTOKYO」って言ってね、なんの変哲もない。久米が「へそってね、上半身下半身?」って言ったの。何こいつ言ってんのかなって思ったけど、自分の放送よりもそっちのほうが面白かった。
さだ なるほど。
みの あれ今でも覚えてる。ああこいつね、やっぱりTBS受かるだけのことはあるなって思ったね。俺は落ちたけどね。
さだ あのね、久米さんの番組で僕も覚えているのはね、なんで相撲取りは脇毛がないんだろうって話。
みの わはははは、ない?
さだ 「なんでないんだろう」って言ったら、久米さんがその場で、(NHKの大相撲中継で有名だったアナウンサーの)北出清五郎さんに電話したんですよ
みの ほおお、北出さんね。
さだ そしたらね、「擦り切れるんだよ」って。「腋が甘かったら相撲取りになれんだろう、脇毛のある相撲取りなんて二流だよ」って北出清五郎さんが言ったんですよ。それで、「なるほど!」って。僕はラジオで聴いてて、ラジオってこんなに面白いんだって思った。その場でできるから、それを。
みの できるよね。
さだ ライブで。
みの できる。
さだ これ、大変なことですよ。
みの ただ何をぶつけるか、なのよね。
さだ つまり、テレビってもうそんなに余裕ある時間なんてないですから、はい次はい次はい次はい次、次々次々押してこられて、もう自分の時間なんてないじゃないですか、こなすだけで。そうじゃなくて、ラジオっていうのは一つ枠があって、そんなかで何やってもよかったじゃないですか。
みの あった。
さだ ね。
みの うん、だからできるのよ。
さだ できる、電話しちゃえるのよ。
みの そう、できるの。
さだ テレビだと、電話じゃなんかね、ダメなんですよね。
みの できないな。
さだ 動かない写真が出て、「だれさん」とか名前が出て、しゃべってんのを見てもバカみたい。ラジオだとあれが生き生きするんですよ。全員見えてないんだから。
みの ラジオのつもりでね、ガンガンやっちゃうと、いい時はいいけど、悪くなると、「もう言いたいこと言いやがって」と怒られるし。もう辛いわ、はっはっ。
さだ ああ、そうか。