プロ野球ドラフト会議の3日前。球界の功労者がまた一人、この世を去った。福岡ソフトバンクホークスの球団社長兼オーナー代行で、ソフトバンク取締役の笠井和彦氏が10月21日、肺カルチノイドで亡くなった。76歳だった。スポーツ紙の記者が言う。
「笠井さんはホークスだけでなく、パ・リーグをまとめ、プロ野球全体を盛り上げるために力を尽くしてきた方。巨人中心、セ・リーグ中心の球界ではダメだと、いつも話していました」
笠井氏は香川大卒で、富士銀行(現みずほ銀行)副頭取、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)会長などを歴任し、2000年からソフトバンクの取締役に就任。ソフトバンクホークスが誕生した05年から球団社長となった。チームは10、11年にパ・リーグを制覇、11年には日本一に輝いている。
笠井氏をソフトバンクに招き入れた孫正義社長(56)はこの訃報を受け、「誠実かつ公平無私、人情味あふれる御人柄ゆえに、笠井さんを慕う幹部や社員も数多く、常に後に続く我々の指針でありました」とのコメントを出した。
試合をネット配信したり、福岡ヤフードーム(現ヤフオクドーム)を870億円で買収して球団との一体経営を進めたりと、球団の先頭に立って経営手腕を発揮してきた。それが奏功し、ソフトバンクは昨季、パ・リーグでは初めて年間観客数が240万人を超えた(05年の実数発表後)。
経営者としてのバランス感覚に優れていた、と周囲は口をそろえる。富士銀行の頭取として、笠井氏を副頭取に引き上げた橋本徹・日本政策投資銀行社長(78)はこう振り返る。
「笠井くんは国際金融の分野に強く、さらに為替も資金のトレーディングも何でもできました。また彼には詩心もあり、入行してすぐに銀行内の詩のコンテストで優勝したこともありました。そのころから、物事に対する感受性は高かったのでしょうね」
たしかに笠井氏には、バンカーとしての「理」とともに、「情」の強さを思わせるエピソードがある。
「ホークスの投手が初勝利を挙げたときや、打者が節目の記録を達成したときなどは、必ず花束を贈っていました」とは、別のスポーツ記者。
北海道日本ハムファイターズの前球団社長で、近畿大教授の藤井純一氏(64)とは、日本酒を酌み交わす間柄だったという。
「プロ野球ファンの人たちにどうやって喜んでもらうかに情熱を燃やした人でした。パ・リーグが地域密着型で人気を博しているのも、彼の功績が大きい。プロ野球全体にとって大事な方が亡くなってしまった。本当に残念です」(藤井氏)
春になれば、天国から柔らかい関西弁でホークスを応援することだろう。合掌。
※週刊朝日 2013年11月8日号