戦国武将のなかでも一際人気を博す武田信玄。武田家第16代当主・武田邦信氏(65)が、ご先祖さまの秘話と今の武田家を語る。
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武田家の系統はあまたありますが、公式に武田家の正系と認められたのは、私の家系でした。
1915年、大正天皇から、治水への貢献などが認められて、武田信玄に従三位が贈られました。受け取る人は正統の子孫でなければなりません。名乗りを上げた家はなんと、36家。
山梨県が10年以上調査し、信玄の次男・信親(のぶちか)の家系と七男・信清(のぶきよ)の家系に絞り込みました。最終的に信親の子孫である武田信保(のぶやす)に信玄の従三位が贈られました。これが私の祖父です。
決め手の一つが信玄の菩提(ぼだい)寺である恵林寺の記録でした。信玄の法要を施主として代々行ってきたことが書かれていました。戦国大名の武田氏滅亡後、信親の子孫は、幕府によって江戸前期から江戸に住まわされていましたが、法要のたびに馬やかごで何日もかけて行っていたのでしょう。
江戸時代、武田家は、朝廷への使いをする「高家(こうけ)」となり、屋敷は、JR新橋駅烏森口あたりにありました。祖父の代には、東京・新宿の百人町に住んでいました。3千坪の土地があり、人に貸し、裕福な暮らしをしていたようです。そのうちの一人に帝国ホテルの料理長がいて、毎朝出勤前に祖父の朝食を作っていたそうです。父が法大生のときには、馬で通っていたといいます。