山中伸弥京大教授がノーベル賞を受賞したが、日本の研究環境はけっして恵まれているものではないようだ。ニュースキャスターの辛坊治郎氏はとある「事件」を例に挙げて、「山中教授の成功は、本人の努力と才能に加えて、奇跡のような僥倖の上に成し遂げられたのだ」と指摘する。

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 昨年暮れにこんな「事件」があった。従来から、大学の研究は文部科学省、医薬品は厚生労働省、さらには医薬業界については経済産業省が所轄するなど、縦割り行政が長期的視野に立った効率的な研究支援を阻んでいるのではないかと指摘され続けてきた。そこで昨年1月、この状況を打破するために鳴り物入りで発足したのが内閣官房医療イノベーション推進室だ。初代室長に就任したのは、東京大学医科学研究所の中村祐輔教授だった。推進室が目指すところは、最先端の医薬品や医療機器産業の国際競争力を高め、その成果を国民の健康に還元することだった。教授自身、遺伝情報解析の世界的な権威であり、ゲノム解析を新しい癌(がん)治療に応用するなど、研究者兼行政官としての役割が大いに期待された。

 しかし中村教授は推進室発足から1年も経たない昨年12月に辞任を表明、その後、自らの研究を続けるためアメリカに旅立った。中村教授は当時、新聞の取材にこう答えている。

「国の制度や仕組みを変えようと頑張ったが、各省庁の調整機能さえ果たせず、無力を感じた」

 何があったのか容易に想像がつく。

(週刊朝日2012年10月26日号「甘辛ジャーナル」からの抜粋)

週刊朝日 2012年10月26日号