彼の勧めで歌のレッスンに取り組み、18歳の夏にはニューヨークに単身滞在してボイストレーニングを受けた。ただ、成功できるかどうか、半信半疑だった彼女はこれをやや退屈に感じていたようだ。

 が、現地の貧しい男の子と出会い、無気力な人生観を語ったところ「それはいけない。今は二度と来ないんだから」と諭されたという。それ以来、歌手修行を「もっと上に行くためっていう気持ち」で「時間がすぎるのを早く感じるくらい」積極的にやれるようになったと明かしている。

 つまり、こうした経験を通して、彼女は「自信」と「やる気」を得たわけだ。

■氷川きよしも羨望した存在感

 98年、19歳で本格的に歌手デビューして以降の活躍は説明するまでもないだろう。01年からは、日本レコード大賞を3連覇。ひとつ年上ながら遅れてブレイクした同郷の氷川きよしが「僕が演歌で一番売れてても雲泥の差だった。顔も小さくてキレイで、 カリスマ性を研究してた」と羨望したほどの存在感は、平成の歌姫と呼ぶにふさわしいものだった。

 しかし、その助走期間ともいうべき本格的歌手デビュー以前の芸能活動について、浜崎のプロフィールからは除外されている。公式サイトにも、女優としての出演歴などは掲載されていない。当時もアイドル雑誌の巻頭を飾ったり、演技力が評価されたりする有望株だったのだが、本人にとってはヤンキーだったことよりも消したい過去なのだろうか。

 ただ、彼女の人生観を思えば、わからないでもない。前出のラジオで、彼女は母親のことを「すごく自分勝手」「よくいえば、すごく自由に生きてる」と評した。たとえば、彼女のことで中学から呼び出された際、お腹が痛くなったと教師に言って行くのをやめるような人だったという。そんな母を見て、彼女も「自由にやっていいんだな」と感じたともいう。

 そういう意味で、女優やグラビアの仕事はあまり自由に思えず、やらされているような気分だったのかもしれない。自分で書いた詞を、自分を好きになれるようなファッションやメイクで歌うようになって初めて、彼女は芸能活動に自信とやる気、そして達成感を得られるようになったのだろう。

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仕事に恋に葛藤を繰り返してきた