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令和元年も間も無く終わるが、これは新暦(グレゴリオ暦)で太陽の動きを元に作られた暦でいう年末を指す。
日本では明治時代でこの新暦を取り入れるまでは、永く月の動きを元に作られた旧暦が使われていた。簡単に言えば、新月の日を朔(ついたち)、満月の日を望(ぼう/15日頃)として1カ月を30日あるいは29日としていた。このため、実際の季節との調整のため3年に1度程度の割合で閏月が加えられていたのである。具体的に言えば、旧暦としての年明けは令和2年1月25日にあたるのだ。これを旧正月と言い、中国などではこちらの方が盛大に祝われている。
●太陽の動きを示す節気とは
それでは実際の季節感は何で示されていたのかと言えば、太陽の動きから考えられた「二十四節気(にじゅうしせっき」という1年を24等分した手法が用いられていた。この説明ではよくはわからないと思うが、この24つの呼び方が春分・秋分、夏至・冬至、立春・立夏・立秋・立冬といったものであると言えば少しは納得いただけるだろう。他にもよく耳にするのは啓蟄、大寒、大暑くらいだろうか。
さて、この「二十四節気」のうちの立春・立夏・立秋・立冬の前日を節分と呼んだ。季節を分けるという意味である。今では立春の前日のみを節分と呼んでいるが、本来は1年に4回あったことになる。
●冬至の別名でもある「一陽来復」
立冬から立春までの節気は冬に、特に冬至からは真冬にあたる(節気で言えば冬至・小寒・大寒・立春)。寒くて作物の種まきも収穫もできず、狩猟や漁にも向かない季節である。ご承知の通り、冬至は1年で一番陽の短い日であり陰の底でこれからは次第に明るくなるという意味合いから、「一陽来復(いちようらいふく)」という言葉が生まれた。転じて冬至のことを指す言葉としても用いられている。
もともとは季節的な意味合いだったが、“悪いことが続いていてもこれからは明るい日がくる”という開運の言葉としても使われるようになったのである。