これまでのあらゆる取材、やりとりが頭をめぐる中、会見後、関係者を通じて、花子からメッセージが届いた。

「花子師匠、中西さんのYahoo!の記事を読んで『いいこと書いてくれるわぁー』と喜んでます!そして、会見中に中西さんと『何回もアイコンタクトした』ともおっしゃってます」

 実際、何回も目が合った。それはこちらもしっかりと認識していた。こちらをチラチラとみるタイミング。それには一定の法則があるように筆者には思えた。

 関係者が車いすの花子を押して会見場に入ってきて、会見場に「それほどまでに体調が良くないのか」とい空気が流れた時。

 病状が非常に悪かった時期を振り返り、会見場がしんみりした時。

 大助が涙を流し、つられて涙が出そうになるのをこらえるものの、花子の話が少し詰まった時。

 そんなタイミングで花子の視線がこちらに向いたように記憶している。そうやって会見を振り返っていると、花子がたびたび言っていた言葉がふと頭をよぎった。

「芸人は同情されたら終わり」

 芸人が弱い姿を見せている。芸人が暗い空気を出している。芸人が感傷的になっている姿を見せている。それは花子がこれまで語ってきた“芸人論”からすると、ある種の齟齬をはらむ姿だったとも言える。

 それを見せてしまっている腹立たしさ。悔しさ。恥ずかしさ。そういったものが、ことあるごとに古株の記者であるこちらの顔をチラチラ見る動作に出ていたと筆者は受け取った。

 そこには、「病気絡みの会見とは言え、そして、体調がまだ本調子でないとはいえ、芸人として不本意なことをやってしまっている」という忸怩たる思いが多分に見て取れた。

 花子にその感情があるとするならば、それは芸人としてたぎるマグマがまだまだあるということ。

「芸人として、こんなんではアカン!」

 そのマグマがある以上、多少時間はかかるかもしれないが、また「なんばグランド花月」の舞台に立って漫才をする。その日は必ず来ると信じている。

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