『戯伝写楽 ーその男、十郎兵衛ー』再上演、無事に千秋楽を迎えました。
五日間という短い公演でしたから、本当に始まったと思ったらあっという間に終わってしまいました。
それでも、今回の公演はただの五日間ではありませんでした。
去年の3月10日が『戯伝写楽』の初日でした。
翌日、3月11日、夜公演の準備をしている時に震災が起こった。
翌12日は中止にしたものの、次の13日には昼夜二回、公演を行った。
そこに原発事故があり、劇場が計画停電エリア内だったことや、その他世情を鑑みて、公演中止を決定せざるを得なかった。
それから約一年間、ずっと引きずった上での五日間です。
それにやっとけりがつけられた。去年から関わった人間は、スタッフもキャストも含めて多くの人間がそういう思いを持ったようです。
「ようやくすっきりしたね」
千秋楽の後の打ち上げの席で、色々な人と、そういう言葉をかわしました。
ちゃんと初日に幕を開けてしっかり千秋楽に幕を下ろせれば、それがたとえ五日間という短い期間でも、最後までやりきったという気持ちになれる。公演期間の問題ではないのでしょう。
「これで前に進める」という声もいくつも聞きました。
去年の公演に関わった人間達は、ああいう不測の状況で中止にせざるを得なくなったことに大なり小なりもやもやしたものを抱えていたんだなあと思いました。
それは、実は関係者だけではなかったようです。
プロデューサーの朴?美さんは、最終日、公演終了後にロビーでパンフレットなどを自分の手で売っていました。
人気声優の朴さんが売り子として販売しているということで、終演後のロビーはお客さんでごったがえしていました。
多くのお客さんが、朴さんから商品を受け取り、言葉をかわしていた。
芝居の感想、再上演を喜ぶ言葉、再演を希望する意見、さまざまな声がきけて本当に嬉しかったと言う朴さんでしたが、中でも「一年待っていました、これですっきりしました」と言って下さった方がいたのに心を動かされたようでした。
お客さんの中にも、この芝居が観られなかったことで、もやもやした思いを抱いていた方がいたと。
それを聞いた僕も、改めて、この公演をやってよかったと思いました。
3.11以降、日本人の気持ちは大きく変わりました。
もう、今までのようには暮らせない。世の中の仕組みを変えなきゃならない。でも、なかなか変わらないし、変え方も模索中です。
日本人の心に大きな棘が刺さり、それはなかなか抜くことは出来ないでしょう。
その棘の大きさは、その人それぞれの状況によって大きく変わります。
被災地のみなさんのご苦労。小さいお子さんを持った親御さんの不安。
そんな大きな棘の前では、僕たちの胸に刺さった棘など、客観的にはほんの些細なものかもしれません。
それでも、小さな棘とわかっていても、その棘の痛みは当人にとっては無視出来ないものだったりする。
ささやかな芝居の中止が、ある人達にとっては、3.11の象徴だったかもしれない。
その棘をやっと抜くことが出来た。
もちろん、それが直接、この国の復興につながるわけではないでしょう。
それでも、そういう個人個人の小さな棘を抜くことの積み重ねもまた、次のステップに進むための大事な作業なのではないかな。
自分でも「たかだか芝居の再上演でおおげさなことを考えてるな」と思いつつ、それでもこの芝居をもう一度やろうとした取り組んだ関係者や待っていてくれたお客さんの気持ちの切実さを感じた時、そう感じる自分もいたのです。
それとは別に、芝居を作る人間として、今回の現場がとてもいい状況だったことも嬉しかったです。
今だから言えることですが、実は去年の初日前は、いろいろと問題がありました。色々な掛け違いから、僕も朴さんも初日は納得の出来るものではなかった。
「とりあえず幕を開けて、そこからどれだけ摺り合わせができるかだな」と考えている部分もあった。
でも、今回、再上演をするにあたって、朴さんは「我慢をしない」と決めた。自分の意見をはっきりと言う。見たいものを作るためになら遠慮はしない。
僕も前回は演出にまかせていた部分を、できるだけ自分の意見を出してホンを直そうとした。
しかもそれは僕たちだけではなかった。キャストもスタッフも同じ気持ちだった。
前回参加したキャスト達も、今回は思う所があったようで、去年とは稽古に取り組む気構えが全然違った。みんな「遠慮しないぞ」という気持ちのように見えました。それに今回初参加組も負けてはいなかった。
結果的に、今回の芝居はとてもいい芝居になりました。
打ち上げでの、みんなの晴れ晴れとした顔がその証でした。
一度崩壊しかけた現場が、一年を経て素晴らしい座組になった。
「ああ、この芝居に再チャレンジしてよかったな」と、本当に思いました。