──自宅で看取られたのですか。

杉田:実は、亡くなる3カ月前に、結核予防会複十字病院(東京都清瀬市)に入院しました。それが、もう肺も心臓もだいぶ弱っていて、自宅から複十字病院へ向かうタクシーの中で心肺停止状態になり、救急車ですぐ近くの病院のICUへ運ばれたんです。在宅酸素療法になったときから数えてもう3度目のICUでしたから、私はさすがに「ダメかな」って思いました。ところが、奇跡的に意識が戻り、目的の病院へ転院できたんです。

──なぜ複十字病院へ入院を?

杉田:呼吸リハビリテーションを受けるためです。車いすの母は手足は動かせました。それで、全身の筋肉をほぐすようにして鍛え、機能が落ちた肺の代わりに筋肉や横隔膜をつかうことで動ける呼吸法を身につけたり、上手な痰の出し方を教えてもらったりしました。

 指導してくださった理学療法士(呼吸ケアリハビリセンター部長)の千住秀明先生から、「このまま寝たきりになっていいんですか。棺桶まで歩くことを目指しましょう」と言われた母は、生き抜く力を引き出す、先生の呼吸リハビリのコンセプトにすごく感動して、がぜんやる気を起こしまして。母には自分が「ずっときれいでいたい」という思いもあったから、私は私で、リハビリ用に毎日色の違う、明るい色のシャツを用意してあげて。そうすると、よけいにリハビリを頑張るわけですよ、母は。

──効果はありましたか。

杉田:リハビリを始めて2週間で、車いすから立ち上がり自力で80メートル歩けるようになったんです。2カ月するとその距離が200メートルにまで延びました。そこから最後は老人保健施設に入り、3週間ほどしたお正月の朝、ご飯を自分で食べ終え、私とテレビ電話で「今から施設へ行くね」「気をつけて来てね」と会話した後、意識がなくなりました。海外に住む私の妹の帰国を待って、4日後に母は静かに息を引き取りました。83歳でした。

── 介護や看取りはだれもが直面しうる人生の出来事です。経験者としてアドバイスはありますか。

杉田:介護も看取りも、そのやり方やおこなう場所は本当にケース・バイ・ケースで、こうあるべきとは言えないと思います。私も出演したドラマ「3年B組金八先生」の中で、武田鉄矢さん扮する金八先生が「絶望の後にしか希望はやってこない」、そんな意味のセリフを言っているんですね。そのとおりで、母の受け入れ先が見つからず、在宅介護に踏み出した私は、何度もへこたれそうになりました。でも、最後に「希望のリハビリ」へ母も私もたどり着けた。

 リハビリを受けている母の姿に、自分の残された力を精いっぱい使える充実感があふれていました。そんな充実感をだれもが味わえる、これからの医療、介護であってほしいです。

(取材・文/成島香里)

○杉田かおる(すぎた・かおる)/1964年東京生まれ。女優、タレント。7歳で子役としてデビュー。79年TBSドラマ「3年B組金八先生」に生徒役として出演し話題に。母親が倒れてから健康に関心を高め、日本健康マスター検定を受ける。現在は健康マスター名誉リーダーを務め、2019年3月にはエキスパートコースにも合格。

※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん2020年版』から